西洋の模倣とは一体何を意味するのですか。近代的で新しく、西洋から来たものは全て、西洋の模倣を意味するのですか。言い換えると、クッファールの模倣であるからハラームであると、どんな場合に言えるのですか。アッ ラーに讃えあれ。 イブン・ウマルの言葉が伝えられている。「アッラーの御使い(かれに平安とアッラーのご加護を)は申された。『他人を真似る者はその仲間である。』」(ア ブ・ダウードの伝承。アル・リバース:3512。アル・アッバニはサヒーヒ・アビ・ダウードで述べている。(これは)ハサン・サヒーヒ: No. 3401). アル・ムナウィとアル・アルカミは、西洋人の服装や生活様式を真似ることを挙げている。 アル・カアリによると、服装などクッファールを真似る者、邪悪で非道徳的な人或いは逆にスフィーや高潔な人物を真似る者である。 シェイク・アル・イスラーム・イブン・タイミーヤはアッシラート・アルムスタキーンで述べている:イマーム・アハマドや他の人々がこのハディースを証拠に 挙げている。このハディースは、少なくとも西洋を真似ることはハラームであると暗示してる。アッラー曰く(意味の解釈): 「...あなたがたの中誰でも、 かれら(ユダヤ教徒やキリスト教徒)をアウリーヤ(友人、援助者)とするものは、彼らの同類である。…」 [食卓章(アル・マーイダ) 5:51] これはアブドッラー・イブン・アムルの見解と似ている。彼の言葉によると「ムシュリキーンの土地に定住し、かれらのナウロズ(新年)やムハラジャーン(祭 り)を祝い、死ぬまでかれらを模倣する者は、審判の日に彼らと一緒に集められる。」このことから、クフルを意味する完全な模倣と解釈され、部分的な模倣は ハラームと見なされる。またクフルの考え方や儀式への参加など、模倣する場合は、彼らの仲間として解釈される。イブン・ウマルの伝承によると、預言者(か れに平安とアッラーのご加護を)は非アラブの模倣を禁じて、次のように申された。「誰かを模倣する者は誰でもその仲間である。」アル・カアディ・アブ・ヤ アラも同じことを述べている。自分達の間で知られていない非ムスリムの服装を模倣することがマクルーであることを示すため、複数の学者が引用している。 「アワン・アルマブード・シャル・スンナ・アビ・ダウード」を参照。 クッファールの模倣は二つに分類される: ハラームの模倣と許される模倣: 第1のタイプはハラームになる模倣である。クッファールの宗教固有の特徴であり、我々の宗教では取り上げられていないことを、故意に行うことを意味する。 これはハラームであり、重大な罪になるかもしれない。確証によると、場合によっては、カーフィルになってしまうことがある。たとえばクッファールに合意し て行う場合、自分の欲望や気まぐれで行う場合、現世と来世においてもそうすることが有利であると感じさせる特別な主張のために行う場合である。その例は、 無知ゆえに罪を犯す人、クリスマスを祝う人々である。知らずにしてしまった者は気が付かなかったため罪人ではないが、繰返すことによって罪人になることを 教えなければならない。 第2のタイプは許される模倣である。元々クッファールのものではないが、クッファールもやっていることである。これは模倣しても禁じられないが、模倣する ことによって,彼らと異なる事を行う好機を逸してしまうかもしれない。 世俗的なことに関して、啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)や他の人々を模倣しても許される条件は以下に示される。 1 – 彼らに固有な伝統や儀式でない。 2 – 彼らの宗教の一部ではないこと。クルアーンのアヤやみ使いのハディースなど、信頼できる出典、また以前の国家では許されていたお辞儀の挨拶など、確立され た伝承によって、彼らの宗教の一部であることは証明できる。 3 – イスラームの中で特別に取り上げられたものでないこと。イスラームで承認または禁止など、特別な説明がある場合は、我々の宗教の規則に従わなければならな い。 4 – 模倣がシャリアの命令に反しないこと。 5 – 彼らの宗教を祝福しないこと。 6 – 模倣は必要以上に行わないこと。 スハリ・ハサンによるアルスナン・ワル・アサール・フィルナヒ・アン・アルタシャッブ・ビル・クッファール p. 58-59を参照。