子供は生まれながらにして、神への信仰心を備えています。この天性の信仰は、アラビア語で「フィトラ」と呼ばれます1。もしも子供が一人きりで成長したとすれば、その子は神の唯一性について認識した状態で大きくなりますが、すべての子供たちは直接的・間接的にであれ、環境の圧力によって影響を及ぼされます。預言者(神の慈悲と祝福あれ)は、神がこのように仰せられたと述べています。 “われらは正しい宗教と共にしもべたちを創造したが、悪魔たちは彼らを迷妄させるのである。”2 また、預言者はこのようにも述べています。 “子 供たちは皆、「フィトラ」の状態で生まれてくるが、両親が子供たちをユダヤ教徒やキリスト教徒にするのである。それ(フィトラ)は、動物が(元来)健康な 子孫を産むようなことであるが、あなたがたがそれ(生まれた動物)を不具にする前に、不具な状態で生まれてくるというのだろうか?”3 子 供の身体が、神が自然において定めた物理的法則に従っているように、その魂も、神が主であり創造主であるという事実に従っているのです。しかしその子の両 親は、彼らの道に従うようにさせ、子供はその幼い時期において両親に逆らったり抵抗したりすることは出来ません。こうした時期に子供が従う、風土や習わし の宗教において、神は酌量し、懲罰を与えたりはしませんが、子供が成長して一人前となり、自らの宗教の虚偽性がはっきり示されたのであれば、彼は知識と理 性の宗教に従わなければなりません4。 この際、悪魔たちは彼が思いとどまり、さらに迷妄に走るよう全力を尽くします。彼には悪事があたかも良いものであるかのように思い込まされ、そこで彼は正 道を見出すことにおいて、自らのフィトラと欲望のはざまでもがき苦しみます。もし彼がフィトラを選ぶのであれば、神は彼の欲望に打ち勝つ手助けをします。 人間は欲望に打ち勝つことに人生の大半を費やしてしまうため、多くの人々は老年になってイスラームに入る傾向がありますが、それでもなお、大半の人々はそ れ以前にイスラームに入っているのです。 フィ トラと確執を繰り広げる、そのような強力な作用のため、神は特定の誠実な人物を選び、彼らに正しき道を明白に示す啓示を下すのです。私たちが預言者と呼ぶ そのような人々は、私たちのフィトラがその敵を倒すことの出来るよう遣わされました。世界中の社会における真実や善行は、彼らの教えによってもたらされた ものであり、それがなければ世界には平和や安全は存在していないのです。例えば、西側諸国は宗教の影響を排した世俗国家であると自称しつつも、それらの国 の大半における法律は、「汝、盗む無かれ」「汝、殺す無かれ」などに代表される、預言者モーゼの「十戒」を元に作られたものです。 そ れゆえ、人が預言者の道に従うことは、それこそが人間性と真に調和するものであるため、義務なのです。また、人はただ単に両親や祖先が行っていたからとい う理由だけで物事を行うべきではないことに留意すべきです。特に、それらの慣習が間違ったものであると分かったのであれば尚更です。もしも真実に従わない のであれば、その人物は神がクルアーンにおいて述べられているような、迷妄に陥る人物となってしまうことでしょう。 “かれらに、「アッラーが啓示されたところに従え。」と言えば、かれらは、「いや、わたしたちは祖先の道に従う。」と言う。何と、かれらの祖先は全く蒙昧で、(正しく)導かれなかったではないか。”(クルアーン2:170) もしも両親が、諸預言者の道に従わないよう私たちに強いるのであれば、彼らに従ってはならないと神は述べます。 “われは人間に、両親に対して親切にするよう命じた。だがもしかれら(両親)が、あなたに対し何だか分らないものをわれに配するように強いるならば、かれらに従ってはならない。”(クルアーン29:8) ボーン・ムスリム 幸 運にもムスリムの家庭に生まれた人々は、「ムスリム」は自動的に天国が保証されていると勘違いしてはなりません。なぜなら預言者は、ムスリム国家の多くは ユダヤ教徒とキリスト教徒にあまりに親密に従うあまり、もしも彼らがトカゲの巣窟に入れば、彼らの後に続いてそこに入るだろうと警告しているからです5。また彼は、終末の日が近くなると、人々は偶像を崇拝し出すとしています6。現在、死者へ祈ったり、墓の上に霊廟やモスクを建てたり、その周りで崇拝の儀礼を執り行うムスリムたちが世界中に存在しています。さらには、自らをムスリムと名乗りながらアリーを神として崇める人々もいます7。 また一部はクルアーンの節々をお守りとしてネックレスにしたり、それを車のミラーにぶら下げたり、キーホルダーに付けたりする人々もいます。それゆえ、ム スリムとして生まれながらも、彼らの親の行動や迷信を盲目的に追従する人々は、自分たちが 偶然ムスリムであるのか、または選択によってムスリムであるのか、あるいはイスラームとは彼らの両親、部族、国家が行うことなのか、それともそれはクル アーン、そして預言者ムハンマドと彼の教友たちが行ったことなのかについて、考え直さなければなりません。 Footnotes: 1 Al-’Aqeedah at- Tahaaweeyah, (8th ed.. 1984) p.245. 2 サヒーフ・ムスリム 3 サヒーフ・ブハーリー、サヒーフ・ムスリム 4 Al-’Aqeedah at-Tahaaweeyah, (5th ed.: 1972). p.273. 5 サヒーフ・ブハーリー、サヒーフ・ムスリム 6 サヒーフ・ブハーリー、サヒーフ・ムスリム 7 シリアのヌサイリー派(アラウィー派)、パレスチナ・レバノンのドルーズ派など。