1. 記事
  2. 神によるスンナの保持(4/7):イスナードの保持

神によるスンナの保持(4/7):イスナードの保持

セクション :
672 2019/07/07 2024/04/18
~に翻訳された : Italiano Deutsch

フラータは、伝承者がそれを聴く者によってイスナードの言及を強いられた件について、預言者の死後わずか2年後に亡くなったアブー・バクルこそが、伝承者がその伝承の信頼性を証明するよう最初に命じた者だと述べています。なぜかといえば、時々彼はハディースの証人を提示しない限り、それを認めなかったことがあるからです。ウマルも同様、それに従っています。そうすることにより、伝承者が実際に預言者からその言葉を直接聞いたのか、または仲介者を通してだったのかを識別することが出来たのです。彼らの目標は伝承の信頼性を確証することであり、伝承者にハディースのイスナードを明言させていました。そのため彼らの時代(預言者逝去直後)に、伝承者たちはイスナードの明言を義務付けられたのです。第四代目正統カリフであり、フィトナ(試練)の時代の当事者だったアリーは、預言者から直接ハディースを聞いたと誓った人物に誓約をさせたほどでした。したがって明らかに、フィトナの後は伝承者がその典拠を述べるという同じ手順が踏まれるようになったと見るべきでしょう。1

フラータは、伝承者自身がハディースのイスナードを主張し始めた時期について、根拠の弱い伝承者と不道徳な人々がハディースを伝え始めたことから、イスナードの必要性が明白になったと述べています。その時代からは、伝承者自身がハディースのイスナードを確実に言及するようになったのです。アル=アァマシュはハディースを伝承する際に、“ここからが重要な部分だ” と言ってイスナードに言及しました。シャーム地方出身のアル=ワリード・ブン・ムスリムは述べています:“ある日アッ=ズフリーは言った。「ハディースの最も重要な部分について言及しないあなたたちは、一体どうしたというのですか?」その後、我々の教友たち(つまり、アラビア半島北部シャーム地方の人々)はイスナードを確実に言及するようになったのだ。”2 また学者たちは、イスナードなしにハディースを教える教師から学んだ彼らの生徒たちを叱りました。3 実際彼らはイスナードが付属しない全てのハディースを拒否したのです。バハズ・ブン・アサドはこう言っています:“「彼は私たちにこのように伝えた」と言わない者からハディースを受け入れてはいけない。” それはつまりイスナードのことを指しています。教養のあるムスリムたちは、たとえば歴史やタフスィール(クルアーン注釈学)、または詩など、ハディースとは関係ない分野でさえもイスナードを求めるようになったのです。

それによって、この問題についての詳細を論じたフラータは、次のような結論に行き着きました:

1.イスナードは、教友たちの時代から使用され始めたこと。

2.伝承者がその典拠を述べるよう最初に命じたのは、アブー・バクルであるということ。

3.上記を踏まえ、伝承者自身も各ハディースに付属するイスナードの言及に労を惜しまなかったこと。4

結論を言うと、ハディース伝承者がイスナードを全く言及しなかった時代はなかったのです。教友たちの時代においては、伝承者と預言者との間に仲介者が(通常は)存在しなかったため、イスナードの使用ははっきりとしたものではありませんでした。(教友たちの時代は、ヒジュラ暦110年に最後の教友の死をもって「公式に」終わりました。)アブー・バクルとウマルは、ハディースの信頼性を入念に確認していました。後に現れたアッ=シャアビーやアッ=ズフリーなどの学者たちは、ハディースと共にイスナードを言及することの重要性をムスリムたちに認識させました。この傾向は、大規模な敵対勢力の出現(そしてウスマーンの暗殺)によって、人々がハディース伝承は宗教そのものであると認識した際に特に顕著になりました。それゆえ彼らは、自分たちの宗教の源泉となるものの受容に非常に気を遣ったのです。初期以降はイスナードの適切な使用が標準化され、その知識はハディース学として独立しました。これは、ヒジュラ暦3世紀に有名なハディース諸集が編纂されるまで続いたのです。5

現実に、元来の教えの保持ということにおいて、神はイスナードの使用という独自の方法でムハンマドの共同体を祝福しました。ムハンマド・ブン・ハーティム・ブン・アル=ムザッファルは書いています:

“実に、イスナードによって神はこの共同体に名誉と特性を与え、他者から際立たせたのである。現在と過去において、我々以外にはいかなる共同体も連続したイスナードを保有していないのだ。彼らは(古代の)書字板を保有するが、彼らの書物には歴史的な言い伝えも入り交じっており、そこからは元来のトーラー、または福音書による教えと、後世になって追加された信頼に値しない(または不明な)伝承の違いとを識別することが出来なくなってしまったのである。”6

 


1. Fullaatah, vol. 2, pp. 20-22.

2. Quoted by Fullaatah, vol. 2, p. 28.

3. Ibid., vol. 2, pp. 28-29. See the stories of al-Zuhri, Abdullah ibn al-Mubaarak and Sufyaan al-Thauri on those pages.

4. Fullaatah, vol. 2, p. 30.

5. 実際に、ハディースの伝承にイスナードを言及する伝統はヒジュラ暦5年まで続きました。それ以降はほとんどがイジャーザ(学んだハディースまたは本から教えることの出来る免許状のようなもの)として書籍の形で受け継がれてきましたが、一部の学者たちは依然として預言者にまで遡る伝承者経路を述べ連ねることが出来るのです。参照:Khaldoon al-Ahdab,  Asbaab Ikhtilaaf al-Muhadeetheen (Jeddah: al-Dar al-Saudiya, 1985), vol. 2, p. 707.

6. Quoted in Abdul Wahaab Abdul Lateef, Al-Mukhtasar fi Ilm Rijaal al-Athar (Dar al-Kutub al-Hadeethiya, no date), p. 18.

 

アッラーの使徒ムハンマドの後援サイトIt's a beautiful day