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神によるスンナの保持(5/7):初期のハディース論評と伝承者の評価

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844 2019/07/07 2024/12/21
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ハディース保持におけるもう一つの重要な側面は、初期のハディース論評、そして伝承者たちによる評価でした。預言者の生前においても、教友たちはたびたび彼を訪ね、耳にした預言者にまつわる伝承の真偽を確認していました。アザミー教授はアル=ブハーリー、ムスリム、アン=ナサーイー、アハマドといったハディース集に言及しこのように述べています:

“(ハディース)批評が物事の正否を見極めるための努力なのであれば、それは預言者の生前に始まっていたと言えるでしょう。しかしこの段階においては、ただ預言者の元へ行き、伝えられたものに関して確認するだけのことでした…

“私たちはそのような調査や確認がアリー、ウバイ・ブン・カアブ、アブドッラー・ブン・アムル、ウマル、イブン・マスウードの妻であるザイナブなどによって行われていたことを知ります。これらの出来事を考慮すると、ハディースの調査、すなわち初歩的なハディース論評は預言者時代に始まったと言えるのです。”1

伝承を確証するためのこういった実践は、預言者(神の慈悲と祝福あれ)の死と共に終りを迎えることは明らかです。教友たちの時代では、アブー・バクル、ウマル、アリー、イブン・ウマルなどの著名な教友たちによって、お互いのハディースが確認され合っていました。たとえばウマルはハディースの適切な普及に関して厳格でした。サヒーフ・ムスリムにおいて、アブー・ムーサー・アル=アシュアリーの例を見て取ることも出来ます。ウマルは彼が伝えているハディースの証人を提示しなければ、彼を罰すると迫りました。アブドル=ハーミド・スィッディーキーによるこのハディースの注釈によれば、ウマルはアブー・ムーサーに疑念を抱いていたのではなく、ハディースの伝承において厳格な監査を求めていたのだとします。2

これに似た多くの例があります。アブー・フライラ、アーイシャ、ウマル、イブン・ウマルはハディースの確認をしていました。時に彼らは(上記のウマルとアブー・ムーサーの例のように、)お互いのハディースを参照し合っていましたし、時には“時間差検査”と呼べるような方法も用いていました。イマーム・ムスリムの記録によると、アーイシャがアブドッラー・ブン・アムルからあるハディースを聞いた一年後、彼女はアブドッラー・ブン・アムルに使用人を遣わしてもう一度同じハディースを聞かせ、彼は預言者から聞いたものが以前と同じのものであること、そして何も過ちや追加がなされなかったことを確認したのです。3

このような伝承経路の調査は、「アル=ジャルフ・ワッ=タアディール」という卓越した独自の学問を生み出すに至りました。そこでは文字通り、何千人もの伝承者たちの人生、学問的能力、道徳的資質などが詳細に渡って吟味されました。ハディースが認められるには、伝承者一人一人の道徳的・学問的な資質が共に求められたのです。どちらか一方が欠けていてもだめでした。優れた記憶力を持っていたり、情報の正確な記録に長けていたりしても、その人物が誠実かつ信頼に価する人物でなければ彼の伝えたハディース、すなわち最も重要な情報であるべきものは認められなかったのです。同様に、もしある人物が非常に敬虔で誠実であったとしても、文学的・学問的な素質がなく、情報を正確に伝えることが出来なかったのであれば、その人物の伝承は信頼性のないものと見なされました。

したがって、学者たちはハディースの伝承者の熟練度・正確性を確認するための様々な方法を生み出したのです。アザミーは、伝承者の熟練性を確かめるには4通りの方法があるとしています。彼はそれぞれの例を挙げていますが4、それらは以下の通りです:

(1)同じ学者を師として持つ異なる生徒のハディースの比較。例えば、ハンマード・ブン・サラマの書を17人のハンマードの生徒に読ませたヤヒヤー・ブン・マイーンの場合が挙げられます。彼はそうすることにより、(他の学者が伝えたものと比較することによって)ハンマードの過失と、(ハンマードの他の生徒のものと比較することによって)それぞれの生徒の誤りを見抜くことが出来ると述べています。

(2)異なる年代における、一人の学者の主張の比較。アーイシャのハディースで既述したように、彼女はアブドッラー・ブン・アムル・アル=アースに、一年前に述べたハディースの確証をさせています。彼女は彼がハディースに何の変更も加えていないことを確認することで、彼が預言者から聞いたことをそのまま暗記していたことを確信したのです。

(3)口述と著述された文書の比較。アザミーは以下の例を示しています:

アブドッラフマーン・ブン・ウマルはアブー・フライラによるズフル(昼)の礼拝についてのハディースを伝承し、それが夏場は早い時間帯からは遅延することが出来ると伝えました。アブー・ズラアはそれは間違いであると言いました。このハディースは、アブー・サイードの権威において伝承されています。アブドッラフマーン・ブン・ウマルはこのことを真剣に受け止め、忘れたりはしませんでした。彼は地元に戻って彼のハディース書を確認し、自分が間違っていたことに気が付きました。そして彼はアブー・ズラアに手紙を書き、自らの間違いを認め、彼の生徒とそれを聞いたその他の人々にその間違いを伝えてくれるよう、彼の手助けを求めたのです。そして彼は恥辱は地獄よりもましであり、そこには神の報奨があると言ったのです。5

(4)ハディースとクルアーンのテキスト比較。この実践は教友たちによって始められました。ハディースはまず、クルアーンとの比較に合格しなければなりませんでした。教友たちはクルアーンに矛盾するハディースは一つも認めず、そうでない場合は教友たちが間違えたか、もしくは預言者から聞いたものを誤解したかのどちらかであると結論付けたのです。彼らはクルアーンとスンナが本質的には一つの啓示であり、互いに矛盾することはあり得ないということを知っていました。

アザミーは伝承者の熟練度を確認するための上記の4通りの方法のみに言及していますが、他の方法も存在します。次のものは非常に一般的に使われる方法です。それらは一人の伝承者が伝えたものを他者の伝えたものと比較する方法(すなわち同じ師を持つ生徒同士によらないもの)、一つのスンナを他のものと比較し、ハディースのテキストを歴史的事柄に照らし合わせる方法などです。

 


1.Mustafa Muhammad Azami, Studies in Hadeeth Methodology and Literature (Indianapolis, IN: American Trust Publications, 1977), p. 48.

2.Abdul Hamid Siddiqui, trans. and commentator, Sahih Muslim (Lahore, Pakistan: Sh. Muhammad Ashraf, 1972), vol. 3, pp. 1175‑6.

3.Ibid., vol. 4, p. 1405.

4.Azami, Methodology, pp. 52‑58.

5.Azami, Methodology, p. 56.

 

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