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ムハンマドとは誰か?
彼の名は、ハーシムの息子アブドルムッタリブの息子アブドゥッラーの息子、ムハンマドです。彼はアッラーのご寵愛を一身に受けたそのしもべである使徒アブラハムの息子イシュマエルの系譜であるアドナーンの子孫、アラブのクライシュ族の出です。
アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)はこう言っています:
「アッラーはイスラエルの子からキナーナ族をお選びになり、そしてキナーナ族からクライシュ族をお選びになった。そしてクライシュ族からバヌー・ハーシム支族をお選びになり、バヌー・ハーシム支族から私をお選びになったのだ。」(ムスリムの伝承)
彼は西暦571年、栄光の町マッカ(メッカ)にて生を受けました。マッカはその当時から、アブラハムとその息子であるイシュマエル(彼らにアッラーからの平安と祝福あれ)によって建設されたカアバ神殿をその中心に擁する、アラビア半島の宗教的中心地でした。
ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の全生涯は、誠実さと信頼高さによって象徴されるといってよいでしょう。彼は啓示を受ける以前でさえも、嘘をついたり、インチキをしたり、人を騙したりすることがありませんでした。彼は人々の間で「信頼高い人」という綽名で呼ばれており、マッカの人々は旅行でマッカを離れる時には、彼のもとに所持品を託して出かけたものでした。また彼は「誠実な人」とも呼ばれていました。彼は優れた人格と作法を備えている一方、雄弁でもあり、また他人に対して常によいことを望むような人物でした。アッラーは彼を描写して、こう仰ります:
-そしてあなたはこの上ない高徳の持ち主である。,(クルアーン68:4)
彼が初めてアッラーから啓示を受けたのは、40歳の時でした。その後彼はマッカで13年間アッラーのみを崇拝することへと人々を招き、その後その住民の多くがイスラームを受容したマディーナ(メディナ)へと移住しました。アッラーはそこで、残りの法規定を啓示しました。そして移住後8年後にマッカ開放に成功し、クルアーンが全て下された後、63歳で亡くなりました。こうしてイスラームの法規定は余すことなく啓示されて完全なものとなり、大半のアラブ人はイスラームを受け入れたのです。