ハッジ ― 人生一大の旅(2/2):アブラハムの儀礼

この儀礼は、神の意志に従い自分の息子を犠牲に捧げようとした、アブラハムの献身に基づいています。それはムスリムが自らにとってかけがえのないものを失うことをもわない決意を象徴し、神の意志への服従が最も重要であるイスラームの精神を想起させるのです。この行為は巡礼者たちが恵まれない人々へと世俗的な糧を配分すること、そして神への感謝の気持ちも思い起こさせます。


この段階になると、巡礼者たちはハッジにおける主要な部分を終了するため、イフラームを脱いで通常の衣服を着用することが出来るようになります。この日、世界中のムスリムたちは巡礼者たちと同様に犠牲を捧げ、“イードル=アドハー”(犠牲祭)という祭日において喜びを分かち合います。清浄な状態から脱する印として男性は剃髪、または断髪し、女性は束ねた頭髪の一端にハサミを入れます。これは謙遜の象徴として行なわれます。夫婦間の肉体関係以外の禁止事項は、この時点で解かれます。


依然としてミナーに留まる巡礼者たちは、次にマッカへと向かい、ハッジにおける次の重要な儀礼を行ないます:それは祈願しつつカアバ周りを七度に渡って周回する、タワーフと呼ばれるものです。神の唯一性を表象化するカアバの周回により、ての人間による活動は神を中心とされるべきことが示唆されているのです。また、それは神と人間の結束も象徴します。


イスラームへの改宗者であり、作家、そしてナショナル・ジオグラフィック誌の写真家でもあるトーマス・アバークロンビーは、1970年代にハッジを行ない、周回の際に巡礼者たちが感じる統一感と調和をこのように表しています:


“我々 はアラビア語の祈願を繰り返しつつ、聖殿を七周した:‘主なる神よ、私は遠隔の地からあなたのもとへ馳せ参じました・・・あなたの玉座の下に私への庇護を お与え下さい。’叙情的な祈願に高揚されつつ渦巻く群衆の中で、我々は原子の法則に従って神の館の軌道に乗り、諸惑星と調和したのだ。”


周 回の際、巡礼者たちは黒石にキスするか、または触れることが出来ます。この楕円形の石は七世紀の終わり、銀の枠に初めて埋め込まれましたが、一部のハ ディースによれば、アブラハムとイシマエルによって建設された建物元来の唯一の残存物とされるため、ムスリムたちにとって特別な位置を占めています。しか しこの石にキスをすることの最大の理由は、預言者がそのようにしたからでしょう。


し かしながらその石に対しては、これまで一度もそうではなかったよう、崇拝の対象では決してないため、信仰における重要性は全く帰属させられません。第二代 カリフのウマル・ブン・アル=ハッターブは、預言者を模倣し、自身でその石をキスした際、このように宣言したことによってこの件を明確にしています:


“私はこれが益のなく害もない単なる石であることを知っている。もし預言者 - 神の祝福と平安あれ - がこれに口づけしたのを私が目にしなかったのであれば、私はそうしなかったであろう。”

タワーフの終了後、巡礼者たちはアブラハムがカアバ建設時に立った場所であるとされる‘アブラハムの立ち処’後方にて礼拝を捧げ、ザムザムの水を飲みます。


もうつの、そして場合によっては最後のそれともなり得る儀礼は、“努力する”という意味を持つです。これはクルアーンにおいて、“不毛の渓谷”と呼ばれる場所に連れて行かれたハガルが、その乳児イシマエルのために行なった、忘れ難い逸話の再現です。


では、イシマエルの渇きを癒そうと水を求めるハガルの必死の探索が記念されます。彼女はアッ=サファーとアル=マルワの2つの丘の間を7回に渡って駆け巡り、最終的にザムザムとして知られる聖水の泉を発見しました。この水はイシマエルの小さな足元から奇跡的に湧き出た泉であり、現在でも巡礼者たちは同じ場所から滾々と湧き出るこの水を飲むのです。


これらの儀礼が遂行されると、巡礼者たちは清浄な状態を完全に脱し、通常の活動に戻ることが出来ます。彼らはミナーへ戻り、ズル=ヒッジャ月の12日目、もしくは13日目までそこに留まります。そこで彼らは預言者によって認可された通りの方法で、残りの小石をそれぞれの柱へとります。その後彼らはハッジ期間中に出来た友人たちと別れることになります。マッカを去る前には聖地への別れとして、巡礼者たちはカアバ周りで最後のタワーフを行ないます。


巡礼者たちは一般的に、“大巡礼”とされるハッジの前後に、“小巡礼”とされるウムラを行ないます。それはクルアーンにおいて認可されており、預言者も行なっているものです。ハッジとは異なり、ウムラはマッカの中でのみ行なわれ、また年間を通して行うことが出来ます。イフラームタルビヤ、そして清浄な状態において規制される事柄はウムラでも重要であり、そこではハッジと同様のタワーフ、そして剃髪(または断髪)の三つの儀礼が行なわれます。巡礼者や訪問者たちによって遵守されるウムラでは、マッカ独自である聖域への敬意が象徴されるのです。


同様にマッカ訪問の前後には、ハッジウムラによって提供される機会として、巡礼者たちはイスラーム第二の聖地である、マディーナの預言者モスクを訪れます。ここには預言者の埋葬されているシンプルな墓廟が存在します。マディーナへの訪問はハッジウムラの儀礼の一部ではないため義務ではありませんが、この町はムハンマドによるマッカからの移住を歓迎した、預言者そして指導者としての彼を喚起させる感動的な出来事や歴史的場所が数々存在します。


以来ムスリムたちによってこよなく愛されるこの町で、人々は依然として預言者の人生による影響を感じ取ることが出来るのです。ユダヤ系オーストリア人だったムハンマド・アサドは1926年にイスラームへ改宗し、1927年から1932年にかけて5度の巡礼を行ないました。彼はこの町に関してこう発言しています:


“13世紀経った今でも、(預言者の)精神的存在感は当時と同じように生きている。彼によって散在した村落だったヤスリブは一つの都市となり、今日に至るまで未だかつて世界中のいかなる都市も愛されたことがなかった程、あらゆるムスリムによって愛され続けて来たのである。その都市には自らの名前が未だになく、13世紀以上に渡って、マディーナトゥン=ナビー、つまり‘預言者の町’と呼ばれて来たのである。1,300年以上の間、非常に多くの愛情が寄せられて来たため、ての形や動きは家庭的な雰囲気を見せ、あらゆる外観の違いは共通の音色へと調和したのである。”


多 種多様な人種、そして言語を話す巡礼者たちが帰省する際には、アブラハム、イシマエル、ハガル、そしてムハンマドにまつわる大切な記念物を持ち帰ります。 それは富裕者、貧者、黒人、白人、若者、老人が一斉に共通の足場に集った、普遍的合同による経験であり、彼らはそれを常に思い起こすでしょう。

 


彼 らは畏敬や平静の念を携えて帰途に就きます。アラファの地において、預言者が最初と最後の巡礼で説教をした同じ場所で、神を近くに感じたことによる畏敬の 念、そしてその平野で贖罪をし、重荷から解放されたことから来る平静の念です。彼らにはまた、イスラームにおける兄弟がどのような状況にあるのかに関し、 以前よりも良い理解があるでしょう。それゆえ他者に対する思いやりの気持ちと、イスラームという自分たちの豊かな遺産に対する理解といった新たな精神が誕 生するのです。

 


巡 礼者たちは希望と喜びに満ちて帰省します。彼らは神によって課された、人類に対しての古代から続く巡礼の義務という訓令を果たしたからです。何より、彼ら の口には祈願の言葉がその帰途においてつぶやかれていることでしょう。それが自分たちのハッジを認められたものであることに対する祈り、または彼ら自身の 旅において、預言者の言った次のことが現実のものとなることに対する祈りではないでしょうか:


“敬虔な巡礼に対する報奨とは、天国以外の何でもないのだ。”(アッ=ティルミズィー)

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