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神によるスンナの保持(2/7):ハディースの記録

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792 2019/07/04 2024/12/21
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このトピックについて論じる前に、何かが保持されるためには記録、または筆記されることが前提条件ではない、ということが明確にされなければなりません。すなわち、何かが書き留められなかったからといって、それが正しく正確に保持されなかったということを意味するわけではない、ということです。さらに言うと、書き留めること自体が何かの保持に十分であるとも言えません。何かが間違って記録される可能性もあるのです。これらの可能性はハディース学者によって適切に考慮されています。彼らはハディースの認可に関して、それが筆記されていることを条件とはしませんでした。しかしそのような物理的な記録を重要視しましたし、多くの場合、伝承者の個性を考慮しつつ、口伝よりも筆記を優先しました。また彼らは、単に何かが書き留められていることだけで十分である、ともしませんでした。まずそれが適切に記録されていることが確認されたのです。それゆえハディース学者らが記憶による伝承よりも筆記された伝承を優先したのは、それらを伝えた学者らが、筆記において熟練していた場合のみだったのです。

ハディースは当初から記録されていたのではなく、ヒジュラ暦(イスラーム暦)の2世紀頃になって口伝で受け継がれるようになった、というのは多くの東洋学者らが常々行なってきた主張です。彼らはそれゆえに、ハディースは民間伝承や伝説の類であり、でたらめに過ぎないとします。残念なことに、こういった誤認は浅薄な研究で満足した者たちの間に普及しました。実際にこの虚偽の主張と間違った見解は、大勢のムスリム学者らの博士論文によって、ムスリム社会だけでなく西洋社会の大学においても論駁されています。それらの代表的なものは、ムハンマド・ムスタファー・アル=アザミーによるStudies in Early Hadeeth(「初期ハディースの研究」、1967年)、またイムティヤーズ・アハマドによる1974年の The Significance of Sunna and Hadeeth and their Early Documentation (初期の記録におけるスンナとハディースの重要性)などが含まれます。

預言者(神の慈悲と祝福あれ)のハディースの記録は、預言者時代に既に始まっていました。アル=バグダーディーは、預言者が明確にハディースの記録を許可した伝承を記録しています。以下はその一部です:

1.アッ=ダーリミーとアブー・ダーウードは、彼らのスナン(著書)の中で、アブドッラー・ブン・アムル・ブン・アル=アースが預言者から耳にしたことを全て記録していたことを述べたと記録している。預言者は人間であり、時に喜怒の感情をあらわにしたことから、そうすることに対して警告されていたという議論もある。アブドッラーは彼らが預言者にこの件について尋ねるまで、ハディースの記録を止めた。預言者は彼にこう言った:

“(私のハディースを)書きなさい。私の魂がその御手の中にある御方にかけて、(預言者の口からは)真実以外の何も発せられません。”1

つまり、預言者は怒っていても喜んでいても、真実以外は語らなかったということです。

2.アル=ブハーリーはサヒーフ(彼の著書)の中で、アブー・フライラがこう語ったということを伝えています。“神の使徒からの伝承を、私よりも多く伝えている教友はいない。だがアブドッラー・ブン・アムルだけは別である。というのも、彼は私がそうしなかったときにもハディースを記録していたからである。”2

3.アル=ブハーリーは、マッカ無血入城の日に、ある人物がイエメンから預言者を訪ねて来て、彼が預言者の発言記録を取っても良いか質問したところ、預言者はそれを承認してこう言ったと記録しています:

“何某の父のために書き留めなさい。”

4.アナスはこのような言葉を伝えています:“書き留めることによって知識を確保するのです。”このハディースは複数の権威から伝えられていますが、その大半の伝承経路は弱いものです。それが実際に預言者自身の言葉なのか、あるいは教友たちによるものなのかで意見の相違があります。しかしアル=アルバーニーは、アル=ハーキムなどによって記録されたこのハディースは真正であるとしています。3

それゆえ、預言者が生きていた時代に既にハディースの記録が始まっていたことに疑いの余地はありません。ハディースを書き留める行為は預言者の死後も続けられました。アル=アザミーは、彼の著書Studies in Early Hadeeth Literature (初期ハディースの研究)で、ハディースを記録した50人程の教友たちについて議論しその名を挙げています。4次に注目してください:

アブドッラー・ブン・アッバース(ヒジュラ紀元前3年−ヒジュラ暦68年)…彼は知的探究心が強く、一つの出来事に関して30人の教友に尋ねたほどである…彼は聞いたことを書き留めたようであり、時にはその目的のために自らの奴隷にもそうさせたとのことである…以下に挙げるのは、彼から書面の形でハディースを伝えた者たちである:アリー・ブン・アブドッラー・ブン・アッバース、アムル・ブン・ディーナール、アル=ハカム・ブン・ミクサーム、イブン・アブー・ムライカ、イクリマ…クライブ、ムジャーヒド、ナジュダ…サイード・ブン・ジュバイル。5

アブドッラー・ブン・ウマル・アル=ハッターブ(ヒジュラ紀元前10年−ヒジュラ暦74年)。彼は大量のハディースを伝え、その伝承において厳格であり、たとえそれにより意味が変わらなかったとしても、ハディース内の言葉の配列が変更されることを許さなかった…彼は複数の書を所有していた。彼の持っていた一冊のキターブ(書)は父ウマルからのもので、ナーフィウによって彼の面前で何度も復誦されていた…以下に挙げるのは、彼から書面の形でハディースを伝えた者たちである:ジャミール・ブン・ザイド・アッ=ターイー…ナーフィウ(イブン・ウマルの庇護下にあった)、サイード・ブン・ジュバイル、アブドル=アズィーズ・ブン・マルワーン、アブドル=マリク・ブン・マルワーン、ウバイドッラー・ブン・ウマル、ウマル・ブン・ウバイドッラー…6

またアル=アザミーは、ハディースを記録した“第一世紀における継承者たち”の一覧表を作成し、その49人の個性を一人ずつ論じました。7さらにアル=アザミーはハディースを記録した “一世紀終盤と二世紀初期の学者”として87人の名を連ね、8ハディースを記録・収集した251人の“二世紀初期の学者”も記しています。9このように、アル=アザミーはハディースを記録した437人の学者たちの一覧表を作っており、彼らは皆ヒジュラ暦250年を前に他界しています。彼らの大半は、ハディース収集を最初に命じた人物であると誤認識されているウマル・ブン・アブドル=アズィーズの時代に生きた人々です。実際、ウマル・ブン・アブドル=アズィーズの逸話は誤解されており、彼以前には誰もハディースを収集していなかったというわけではありません。10

アル=アザミーは述べます:“近年の研究は、預言者のハディースのほぼすべては、一世紀終わりまでの教友の時代に書き留められていたことを証明しています。”11この言明は部分的に、筆記されたハディースを所有していた多くの教友たちとその次世代の者たちに言及した、アル=アザミー自身の研究に基づいています。また他の箇所で、彼自身このように述べています:

私は自らの博士論文 Studies in Early Hadeeth Literature で、ヒジュラ暦一世紀からすでに数百のハディース冊子が流布していたことを確証した。そこからさらに100年加えれば、どれほどの数の冊子や書物が出回っていたのかを羅列することは困難である。最も控えめな推測であっても、数千を超えるとされるのだ。12

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1.アル=アルバーニーによって、このハディースはサヒーフとされています。参照:Muhammad Naasir al-Deen al-Albaani, Saheeh Sunan Abi Dawood (Riyadh: Maktab al-Tarbiyyah al-Arabi li-Duwal al-Khaleej, 1989), vol. 2, p. 695.

2. このハディースの注釈をしたイブン・ハジャルは、いかにアブー・フライラがアブドッラー・ブン・アムルよりも多くのハディースを伝承出来ただろうかについて説明しています。(参照:Ibn Hajar, Fath, vol. 1, pp. 206-8.  )また彼が言及しなかったこととして、アブー・フライラがアブドッラー・ブン・アムルの約16年後に逝去したことが挙げられます。

3. Al-Albani, Saheeh al-Jaami al-Sagheer, vol. 2, p. 816.

4.Muhammad Mustafa al-Azami, Studies in Early Hadeeth Literature (Indianapolis, IN: American Trust Publications, 1978), pp. 34-60.

5. Azami, Studies in Early Hadeeth, pp. 40-42. In Azami’s work, “b.” stands for ibn or “son of.”

6. Azami, Studies in Early Hadeeth, pp. 45-46.

7. Azami, Early Hadeeth, pp. 60-74.

8. Ibid., pp. 74-106.

9. Ibid., pp. 106-182.

10. アル=ブハーリーによって記録されているこの逸話とは、ウマル(H.61−101)がアブー・バクル・ブン・ムハンマド(H.100没)にこのような手紙を書いたとするものです:“ハディースの知識を求め、書き留めるのだ。私は宗教学者らが死に絶え、宗教知識が消滅することを恐れている。預言者のハディース以外は何も容認してはならない。”また彼はサアド・ブン・イブラーヒームとアッ=ズフリーにも手紙を書き、同じことを求めています。このことから、たとえばM.Z.スィッディーキーのように、ウマルによるこの指示がハディース収集の開始につながったという誤った主張をする者たちも一部存在しています。

11. Al-Azami,  Methodology, p. 30.

12.2Ibid., p. 64.

 

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