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  2. 何故預言者の伝記を学ぶのでしょうか?
  3. 預言者ムハンマドはイスラームの望ましい実践的イメージです。

預言者ムハンマドはイスラームの望ましい実践的イメージです。

作者 : Yehya Ibrahim ElYehya
4553 2012/08/06 2024/03/19

預言者ムハンマド(彼にアッラーの平安と祝福あれ)はイスラームの望ましい実践的イメージです。あなたは預言者ムハンマドとその行為、命令、禁止令をよく知らなければ、イスラームを正しく理解することはできずイスラームに正しく適応することはできません。

預言者ムハンマドは治安を守ったこともあれば、戦ったこともありました。旅にでたこともあれば、定住したこともありました。物を販売したり買ったりもしました。人に何かをあげたりもらったりもしました。一人で暮らしたことはありませんでした。一日として人々から隠れたことはありませんでした。一人で旅したこともありませんでした。ムスリムが負傷したのは、すべて預言者ムハンマドの助言を聞かなかった事が要因です。アッラーはクルアーンで次のように語ります。

「本当にアッラーの使途は 最期の日にアッラーに出会うことを願う者とアッラーをいつも念頭に置く者への 立派な模範であった。」現代のムスリムの一部は預言者ムハンマドの伝記をフォーラムなどからだけで知り、そこで知ったことを模範として受け止めるまでもいかず、実際に適応するまでにもいきません。そして一部の人は、その伝記を称えるためやいろいろなエピソードや戦闘の話を知るためだけに読んでいます。

このような事が起こるには2つの理由があります。ひとつに、預言者を模範とすることが預言者への愛情の必須条件だと知らないからです。または学者の書籍を読んでいないので、知識不足のためにどのように適応するかを知らないからです。

そこで預言者の伝記から教訓を得る重要性が生まれます。

預言者の伝記は物語やエピソードを楽しみ、その時代の歴史的知識を得るためにかかれているものではありません。そして英雄や偉人の伝記の学習が好きになるために書かれているものでもありません。このような浅い目的はムスリムではない者が目指したとしても、ムスリムはそれ以外の目的を求めるべきです。その内容は以下のようなものが挙げられます。

第一:預言者ムハンマドは模範にすべき人物であり、服従すべき人物でもあります。「本当にアッラーの使途は、アッラーと週末の日を熱望する者、アッラーを多く唄念する者にとって、立派な模範であった」(アル アハザーブ章21節)「あなた方がもし彼に従うならば、正しく導かれるであろう」(アル ヌール章54節) 「使途に従う者は、まさにアッラーに従う者である」(婦人章80節)「言ってやるがいい あなた方がもしアッラーを敬愛するならば、私に従え。そうすればアッラーもあなた方を愛でられる」(イムラーン家章31節)

預言者ムハンマドはイスラームの望ましい実践的イメージであり、彼無くしてはアッラーへの服従や崇拝の方法を知る事はできないのです。

説教者は彼の伝記から人を信仰の道へ導く方法と段階を学び、預言者がアッラーの言葉を伝えるためにした努力を認識するようになります。そして困難にどのように直面するか、誘惑や苦労との正しい取り組み方も学びます。

:教育者はそこから教育方を学びます。

:政治家はそこからリーダーになる為の方法とシステムを学びます。

:禁欲主義者は禁欲とその目的を学びます。

:商人は商業の方法と目的を学びます。

:悩みを抱えたものは最も理性的な忍耐を学び、彼の道を歩む決断力が強まり、アッラーを信     頼し最後は信心深い者が勝つと分かるようになります。

:学者はムハンマドの伝記からアッラーの祭典(クルアーン)を理解する方法を学び、イスラームの様々な正しい学問を身につけます。そしてクルアーンの節で啓示されたエピソードや事情が分かるようになります。

:イスラーム国民はみんなムハンマドの伝記から美徳、礼儀そして長所を学びます。

イブヌ カシールは「預言者(彼に平安あれ)の伝記を勉強するにおいて特別の注意が必要です、なぜならオマル アル ワケディの伝承によるとアブドゥッラ イブヌ オマル イブヌ アリは彼の父親はアリ イブヌ アル フッサイン が「クルアーンの章を知る度にアッラーの使途(彼に平安あれ)の征服を知りました。」と言いました。

アル ワケディは ムハンマド イブヌ アブドゥッラはかれの叔父アル ズフリが「征服の科学に、現世と来世の科学がある」と言うのを聞きました。

イスマイル ムハンマド ビン サード ビン アビ ワッカースは「父は預言者ムハンマドの意義をわれわれに教えていたのです。語り終わったら、それがあなた方の祖先の話ですから、語りやめないように忠告しました。

歴史上では様々な偉人、国王、主催者、指導者、詩人そして哲学者の名前が残ってはいますが、模範にすべきような伝記を残したのはいったい誰でしょうか。彼らは名は残っていたとしてもその他のことは何も残らないぐらい忘れられています。

多くの偉人の話は歴史に名を刻んでいるにもかかわらず、人々の間で笑い話にもなっています。

アブラハムに「われが生を受けまた死を与える」(雄牛章258節)と言ったナムルードはどうなったのか。「わたしがあなた方の主、至高者である」(引き離すもの章38節)と言ったファラオはどうなったのか。

彼らは同時の偉人だったのですが、現代の若者と老人 教養のある者と無知な者の間で笑い話になっています。庶民が自分たちに服従するまで騙したにしても、後に彼らのことが暴露され冷笑されるようになりました。

預言者ムハンマドの伝記は人々を多神教と不道徳の暗闇から救い、一神教、信仰と善行の光へ導いたのです。「預言者よ、本当にわれはあなたを証人とし、吉報の伝達者そして警告者として遣わし、われの許しで、人々をアッラーに招く者、光明を行き渡らせる澄として遣わしたのである」(部族連合章45-46節)

第二:預言者ムハンマドの伝記を彼の正直さをよりよく深く信じるために学びます。彼の奇跡と預言者であることの証拠を考察することで彼の正直さをより深く信じるようになります。理知的な伝記とそれらの書籍に描かれた立派な立場と輝かしい生活はかれの完璧さと知性と正直さをあらわしています。

第三:預言者ムハンマドへの敬愛を深めるために学びます。伝記にはムハンマドの美徳と正当な扱いについても書かれていれば、彼が人々に善をもたらし、正しい道に導かれるようにした努力についても書かれています。ただ自分で努力を尽くしただけではなく、自分の財産も人々が暗闇から光明に、苦労から幸福へと抜け出すために使いました。そして預言者ムハンマドは信者たちを悩ませ、困らせるようなことから 彼らを遠ざけるように懸命に努力しました。

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