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アッラーの使徒ムハンマド -1

1550 2012/12/04 2024/12/18

● その系譜と生い立ち:

 

彼の名はムハンマド・ブン・アブドッラー・ブン・アブドルムッタリブ・ブン・ハーシム[1]で、母親はアーミナ・ビント・ワハブです。所謂“象の年”[2]である西暦570年に生誕しましたが、父親アブドッラーはアーミナが彼を妊娠中に亡くなりました。それで祖父のアブドルムッタリブが彼の後見人となりましたが、彼が6才の時に母親のアーミナも亡くなりました。そして祖父のアブドルムッタリブが亡くなった後は、祖父のアブー・ターリブが彼の後見人となりました。

 

ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は高徳とよい人格を備えつつ成長し、人々から“アミーン(誠実、真摯な人)”という仇名で呼ばれました。そして40才の時にヒラー洞窟において啓示を受け、真理が彼に到来したのです。

 

それからムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は人々をアッラーとその使徒への信仰と、アッラーのみを崇拝することへと誘い始めました。彼は様々な迫害を被りましたが、アッラーの勝利を待って忍耐し続けました。そしてマッカからマディーナへと聖遷した後に様々な法規定が定められ、イスラームは強大化し、完遂されたのです。

 

ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はヒジュラ暦11年のラビーウ・アル=アウワル月の月曜日、63才で亡くなりました。そしてアッラーからのメッセージを明瞭な形で伝え、その共同体に全ての善を示し、かつ全ての悪を警告した後に、崇高な主の御許に召されたのです。彼にアッラーからの祝福と平安あれ。

 

● その特性:

 

預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は最後の預言者、諸使徒の長であり、アッラーを畏れる者たちの導師です。またそのメッセージは人類とジン[3]一般を対象としており、アッラーは彼を全世界への慈悲として遣わされました。またわずか1晩でエルサレムまでの奇跡の旅行と、天界への訪問を行いました。またアッラーは、彼を預言者性と使徒性をもってお呼びになりました[4]

 

ジャービル(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:「私は、私以前には誰も与えられなかった5つのものを与えられた:つまり1ヶ月先の旅程までの敵は私に対して恐れをなし、それによって私は援助されている。また私のために(全ての)地面がモスクとなり、清浄なものとなった。ゆえに私の共同体のいかなる者も、サラー(礼拝)の時間が来たら(好きな所で)サラー(礼拝)するのだ。また私以前には誰にも合法化されなかった戦利品が、私には合法化された。また私には(審判の日の)とりなし[5]が与えられた。そして預言者というものはその民だけに遣わされていたが、私は人類一般に遣わされたのである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[6]

 

また預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が共同体内の他のムスリムに対して例外的に有する特質として、次のようなものがあります:連続的なサウム(斎戒)。マハル(持参金)なしの結婚。5人以上の女性と結婚すること。サダカ(施し)を受け取らないこと。他の人々の聞こえないものを聞くことができる能力。ジブリール(彼に平安あれ)をアッラーが創造された形において見たように、人々が見えないものを見ることができる能力。遺産を残さないこと。

 

● 啓示のあけぼの:

 

信仰者たちの母アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)はこう言いました:「アッラーの使徒への啓示は当初、睡眠中の正夢から始まりました。彼の見る夢は全て、黎明のごとく明らかに現実化しました。それから孤独を好み始め、ヒラー洞窟に引きこもるようになりました。そしてそこで幾晩か崇拝行為に没頭しては、家族のもとに戻り、そこで食糧などを蓄えては再び洞窟に戻り、そしてまた彼の妻ハディージャ・ビント・フワイリド・ブン・アサド・ブン・アブドルウッザー(彼女にアッラーのご満悦あれ)のもとに戻って同じくらいの期間に必要な量の蓄えを携えてゆく、ということを繰り返していました。この習慣は、ヒラー洞窟において彼のもとに真理が訪れるまで継続しました。その時彼のもとを天使が訪れて、こう言ったのです:“読むのだ。” ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は答えました:“私は読むことができません。”[7]

ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は(私にこう)言いました:“すると彼(天使、すなわちジブリール)”は私を掴み、覆いかぶさって締め付けてきたのだ。そして私がとても苦しくなると、彼は私を離してこう言った:“読むのだ。”私は言った:“私は読むことができないのだ。”すると彼はまた私を掴み、覆いかぶさって締め付けてきた。そして彼は私を離すと、こう言った:-創造を行われたあなたの主の御名によって読め。(かれは)人間を一滴の凝血からお創りになられた。読むのだ。あなたの主はこの上なく寛大なお方である。,(96:1-3)

 

それからアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は心を恐怖でおののかせつつ、その啓示と出来事を携えて家に帰りました。そしてハディージャ・ビント・フワイリドのもとに行くと、言いました:“私を包んでくれ。私を包んでくれ。”そして彼は彼の恐怖が去るまで、(衣服などで)包み込まれました。それからハディージャに、彼の身に起こったことの顛末を話しました:“私は(この出来事により、自分がどうなってしまうのか)恐くなってしまった。”するとハディージャは言いました:“いいえ、アッラーにかけて。アッラーはあなたを辱めるようなことは、決してなされません。あなたは親類縁者に良くし、身寄りのない弱者を助け、貧者に与え、客人にはもてなし、不幸に襲われた人たちの力になるのではありませんか。”

 

そしてハディージャはムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)を連れ、

彼女のいとこのワラカ・ブン・ナウファル・ブン・アサド・ブン・アブドルウッザーのもとへと赴きました。彼はイスラーム以前の無明時代にキリスト教を受け入れた男で、ヘブライ語で書物を記し、福音書もヘブライ語で書いていました。また彼は非常に高齢で、既に視力を失っていました。ハディージャは彼に言いました:“叔父さんの息子よ、あなたの兄弟の息子の話を聞いてください。”ワラカは聞きました:“我が兄弟の息子よ、あなたは何を見たのか?”それでアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は彼に、彼の見たものについて語り聞かせました。

 

するとワラカは言いました:“これはアッラーがムーサーに下したのと同じ啓示だ。ああ私が若者であったなら!そしてあなたが民によって追い出される時に、私が生きながらえていたら!”するとアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:“人々は私を追い出すのですか?”(ワラカは)言いました:“ああ、あなたがもたらされたようなものを携えてきた者は皆、人々に敵対されるのだ。もしその時まで私が生きていたのなら、あなたを手厚く擁護したのだが。”その後間もなくしてワラカは亡くなり、啓示も中断しました。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[8]

 

● 彼の妻たち:

 

所謂“信仰者の母たち”は、現世と来世において預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の妻たちです。彼女たちは皆ムスリムで善良かつ清浄、純粋であり、貞節に関わるような全てのことにおいて無実です。彼女たちは以下の者たちです:

 

ハディージャ・ビント・フワイリド。アーイシャ・ビント・アビー・バクル。サウダ・ビント・ザマア。ハフサ・ビント・ウマル。ザイナブ・ビント・フザイマ。ウンム・サラマ。ザイナブ・ビント・ジャハシュ。ジュワイリーヤ・ビント・アル=ハーリス。ウンム・ハビーバ・ビント・アビー・スフヤーン。サフィーヤ・ビント・フヤイ。マイムーナ・ビント・アル=ハーリス(彼女たち全てにアッラーのご満悦あれ)。



[1] 訳者注:「ブン」とはアラビア語で「~の息子」という意味です。

[2] 訳者注:「象の年」とは当時のエチオピア帝国の占領下にあったイエメン総督アブラハが、マッカのハラーム・モスク破壊を目論み、象で編成された軍をもってマッカ侵入を試みた事件が起きたことに由来します。

[3] 訳者注:精霊的存在。

[4] 訳者注:つまり文字通り彼を「預言者」あるいは「使徒」とお呼びになったこと。

[5] 訳者注:詳しくは「イーマーンの基幹 - ⑤最後の日への信仰」の章「とりなし」の項を参照のこと。

[6] サヒーフ・アル=ブハーリー(335)、サヒーフ・ムスリム(521)。

[7] 訳者注:彼は文盲でした。

[8] サヒーフ・アル=ブハーリー(3)、サヒーフ・ムスリム(160)。文章はムスリムのもの。

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