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復活の後に起こること
復活の後、人は永遠の天国か、あるいは永遠の地獄かのいずれかへと向かいます。そしてその住民はその住まいで、永遠に過ごすことになるのです。公正なるアッラー(I)が、人間をお裁きになられます。アッラー(I)はこう仰っています:
-そしてわれら(アッラーのこと)は審判の日のために公正な秤を設けるゆえ、魂はいかなる不正も被ることがない。そしてからし種一粒ほどの重さ(の行い)でも、われらは提示しよう。われらは精算者として完全なのである。,(クルアーン21:47)
全ての民は、彼らに遣わされた使徒が伝えた宗教に応じて、裁かれます。アッラー(I)は仰っています:
-その日、われら(アッラーのこと)は全人を、彼らの指導者(預言者たち)と共に招集する。それで(現世での行いが記録された)帳簿が右手に渡された者は、その帳簿(に記録された善行)を読み上げる。そして彼らは、種子の割れ目ほど(の些細なことにおいて)も不正を被ることがない。しかし現世において盲目であった者(つまり導かれなかった者)は、来世においても盲目であり、それ以上に迷い去っているのである。,(クルアーン17:71-72)
信仰し、善行に励んでいたムスリムは、永遠の享楽が待ち受けている天国に入ります。彼らはアッラーとその使徒のご命令を遵守し、彼らが禁じたことを回避していたからです。天国では死が訪れることはありません。アッラー(I)はこう仰っています:
-主を畏れる者たちはその日、安全な立ち所にある。(彼らは)園々といくつもの泉の中に、薄地と厚地の絹の衣服をまといつつ互いに向かい合っている。またわれら(アッラーのこと)は彼らに、色白で大きな眼の美女たちをめとわせる。(彼らは)そこで何の悪や害も被ることなく、ありとあらゆる果実を運んで来させるのだ。(彼らは現世で味わった)1度目の死後、そこで死を味わうことはない。そしてわれらは彼らを地獄の懲罰から守ったのである。(これこそ)あなたの主からのお恵み。そしてこれこそは、この上ない勝利なのだ。,(クルアーン44:51-57)
天国の民が享受する祝福について、預言者ムハンマド(r)はアッラーが次のように仰られたと伝えています:
「われはわが正しいしもべに、いかなる目も見たことがなく、またいかなる耳も聞いたこともなく、そしていかなる心も想像だにしたことがなかったようなものを用意しておいたのだ。」それから(伝承者である)教友アブー・フライラ(t)は、こう言っています:「望むなら、このアッラーの御言葉を読むがよい:
-誰一人として(来世において)彼らのために隠された享楽の数々を知ることはない。(それは)彼らが行っていたことに対する報いなのである。,(クルアーン32: 17)」(アル=ブハーリーの伝承)
また、預言者ムハンマド(r)はこう言っています:
「天国に入る最初の集団は、あたかも満月のようである。そしてその次の集団は、天に輝く明るい星のようである。彼らはそこで排尿や排便をしたり、また唾を吐いたり鼻をかんだりする必要もない。また彼らのくしは金製で、汗は麝香の香りである。そして彼らの香水はインディアン伽羅であり、彼らの妻は白い肌の大きな眼の乙女である。彼らは(互いに憎しみ合ったりすることもなく)一心同体のようであり、六十腕尺もある彼らの父祖(アーダムのこと)に姿形が似ている。」(イブン・ヒッバーンによる伝承)
また、教友ジャービル(t)は預言者ムハンマド(r)が次のように語った、と伝えています:
「“天国の住民は飲食するが、唾を吐いたり、排便したり、痰を吐いたりすることがない。”彼らは尋ねました:“では彼らの食べ物はどうなる(つまり排泄される)のですか?”彼は答えました:“それらはげっぷと発汗として出るが、それらは麝香の香りである。また彼らはちょうど呼吸をするように無意識に、アッラーを讃美している。”」(ムスリムの伝承)
また教友ザイド・ブン・アルカム(t)は、こう言っています:
「あるユダヤ教徒の男が、預言者ムハンマド(r)のもとにやって来て、こう言いました:“アブー・アル=カースィム(預言者ムハンマドrのこと)よ、天国の住民は飲食しないとでもお思いか?”預言者ムハンマド(r)は言いました:“私の魂がその御手に委ねられているお方にかけて。(天国に入る)全ての者は飲食や性行為において、百人分もの力を与えられよう。”するとそのユダヤ教徒は言いました:“飲食する者は排泄もするものだぞ。”預言者ムハンマド(r)は答えました:“彼らは肌からの発汗により、排泄する。そしてその香りは麝香のそれであり、胃は痩せ細ってしまうであろう。”」(イブン・ヒッバーンによる伝承)
また教友アブー・フライラ(t)は、預言者ムハンマド(r)がこのように言ったと伝えています:
「(来世において)召集する者は(天国の民に)呼びかけ、こう言うであろう:“あなた方は永遠に健康であり、二度と病に冒されることはない。またあなた方は永遠に生き、二度と死ぬことはない。またあなた方は永遠に若く、二度と年老いることはない。そしてあなた方は永遠に楽しみ、二度と悲しんだり後悔したりすることはない。アッラーはこう仰られているのだ:
-…そして、彼らにはこう呼びかけられる:「これこそは、あなた方が(現世で善行を)行っていたことによって引き継いだ、天国なのである。」,(クルアーン7:43)”」(ムスリムの伝承)
また預言者ムハンマド(r)は、天国における最下層の住民が堪能する享楽に関して、次のように教示しています:
「最後に地獄から出され、そして最後に天国へ入れられる者のことを教えてやろうか?その者が地獄から這い出てくると、アッラーはこう仰られる:“行き、天国に入るがよい。”そして彼が天国に着くと、彼の眼には天国が埋め尽くされているかのように映る。それで彼は戻り、こう言う:“主よ、天国は満杯です。”するとアッラーは、またこう仰られる:“行き、天国に入るがよい。”そして彼が天国に着くと、彼の眼にはまだ天国が埋め尽くされているかのように映る。それで彼は戻り、こう言う:“主よ、天国は満杯です。”するとアッラーは、再三こう仰られる:“行き、天国に入るがよい。それはあなたにとって、現世の十倍にも値するものなのであるから。”すると彼は言う:“あなたは私をからかっておられるに違いありません。あなたは唯一の主権者であられますのに(、私などにそのようなものをお恵みになられるのですか)!”」
そして伝承者は、こう続けます:
「その時、預言者ムハンマド(r)は、彼の奥歯が見えるほどに笑いました。それが天国の最下層の者について言われたことです。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)
一方使徒と、彼らが携えて来たメッセージを拒絶した不信仰者たちの行き先は、地獄の業火です。そして彼らはその中に、永遠に留まるのです。アッラー(I)は仰いました:
-そして不信仰者たちには地獄の業火があり、彼らはそこで殺され、死ぬことによって楽をすることも出来ない。また彼らは懲罰を軽減されることもないのだ。このようにわれら(アッラーのこと)は全ての不信仰者に(罰でもって)報いるのである。そして彼らは(地獄の懲罰の中で)叫び、言う:「われらが主よ、ここから出して下さい。きっと以前の私たちが行っていた悪行とは違う、正しい行いをしますから。」(アッラーは仰る:)「われらは熟慮する者が熟慮するに足るだけの年月を、あなた方に与えてやったではないか。そしてあなた方の下には警告者が到来したのだ。(懲罰を)味わうがいい。(真理に対する)罪悪人たちにはいかなる援助者もないのだ。」,(クルアーン35:36-37)
預言者ムハンマド(r)は地獄における、最も軽い懲罰を次のように描写しています:
「審判の日、地獄で執行される最も軽い懲罰は、足の裏に燃えた炭を当てられるものである。そしてそれによって、その者の脳味噌は煮立った鍋のように煮え立つのだ。」(アル=ブハーリーの伝承)
また預言者ムハンマド(r)が言及している次の言葉は、天国の住民の歓喜と祝福を更に増大させ、地獄の住民の悲嘆を更に大きなものにする一つの要素となります:
「死は、白と黒が混じった色をした雄羊の形で訪れる。そして呼ぶ者の声がする:“天国の住民よ!”すると人々は皆、群集を見渡そうとする。呼ぶ者は、続けてこう言う:“あなた方はこれを知っているか?”彼らは答える:“はい、それは死です。”彼らは全員、それを眼にすることになる。そしてその雄羊は屠られ、呼ぶ者はこう言う:“天国の住民よ、死を眼にすることなく(天国で快楽を享受しながら)永遠に生きよ。そして地獄の住民よ、あなた方もまた、死を目にすることなく(地獄の中で苦しみながら)永遠に生きるのだ。”それから預言者ムハンマド(r)は、こう朗誦しました:
-そして彼らに、悔恨の日(審判の日)のことを警告せよ。その日全ては決定するが、彼らは無頓着であり、信仰してはいないのである。,(クルアーン19:39)」(アル=ブハーリーの伝承)
また預言者ムハンマドrは、こうも言っています:
「人は、もし(現世で)悪行を働いていたならばそこに居座ることになっていた、地獄における自分の居場所を(墓場の中で)目にすることなしには、天国に入ることがない。そしてそれは、その者が(それによって更なる歓喜を得、)より一層の感謝の念を抱くためなのである。また人は、もし(現世で)善行に励んでいたならばそこに居住することになっていた、天国における自分の居場所を(墓場の中で)目にすることなしには、地獄に入ることがない。そしてそれは、その者がより一層の苦悩を味わうためなのである。」(アル=ブハーリーの伝承)
真の、そして永劫の生活が始まるのはここからなのです。そして来世のために善行でもって準備しておく者こそは、真の喜びを得ることになるのです。