女性の地位向上(2/5):両極端の中間

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1020 2014/07/23 -0001/11/30

これが西洋によって引き継がれた伝統であり、その後1800年代に女性による初の著作と、このような理念の変化を訴えるある種の男性が現れ始めました。そしてこれと共に女性運動の起源がもたらされました。その初期のもののひとつとして、1782年にメアリ・ウルストンクラフトによって発表された「女性の権利の擁護」があります。女性による権利取得の流れは、この後に始まりました。女性は1800年代まで財産の所有を認められておらず、男性のように出費をすることが出来なかったため、それらの最初のものは基本的に法的権利でした。欧米で女性の財産保有を認める法律が出来たのは、19世紀最後の数十年間になってからだったのです。

産 業革命はこの女性運動にさらなる拍車をかけました。特に英国の産業革命において、女性は炭鉱などでの長時間労働を強いられていましたが、男性に比べるとそ の収入は無かったも同然でした。それゆえこの運動の当初のスローガンとは、同じ労働時間に対する同額の報酬を求めるものだったのです。

そして20世 紀になって遂に、西洋の伝統として認められているすべてのものが出揃いました。第二次世界大戦の後から始まった女性運動からは、女性の法的権利に関してだ けでなく、社会の倫理に疑問を呈することによって、より大きな性的自由を男女問わず獲得しようという動きも出始めました。そこでは、多くの問題は婚姻制度 と家族理念が原因なのであると論争されました。人々はそれらから解き放たれる必要性に関して主張したのです。

そして最終的に1990年代になると、西洋社会においての支配的な論調は、我々は性別ではなく性そのものについて議論すべきである、というものになりました。この理念は近年出版された本「The Age of Extremes(邦題:20 世紀の歴史―極端な時代)」において表現されています。著者は男女に差異はなく、性は環境のみによるものであると論じます。したがって、教育環境や気候を 変えることにより男性は女性の役割を、女性は男性の役割を果たすことが出来るようになるというのです。そしてこの流れが現在に行き着いています。私たちは この2500年前の伝統から、本質的人間性を否定されていた女性のギリシャにおいて表現されていた一極端と、現在性別には差異がないとされ、環境や気候の問題であると表現されているもう一極端を見出します。これはもちろん非常に簡素化された世界的見解のひとつです。これまでの数分間で2500年間をまとめるのには多少無理がありますが、おおよその見当はついたはずです。

私 が詳細をお話ししたいもう一方の見解は、イスラーム的見解です。イスラームの女性に関する視点は、どのようなものなのでしょうか?まず第一に、私たちはギ リシャの哲学者やフランス革命後の文芸家とは異なり、ムスリムは彼らの概念、理念と信仰が人的起源ではないと信じていることを理解する必要があります。彼 らは、彼らが教えられたもの、信じているもの、実践しているもの、そしてそれらすべてに結び付いているものは、神によって彼らに啓示されたものの一部であ るということを信じているのです。それゆえその真実と正当性については、それが神による啓示であるために議論の余地が存在しないのです。彼らは、神は自ら の創造について最も良く知るのであると主張します。かれは人類を創った叡智に満ちた神であり、かれこそは全知であるため、何が最善であるかをかれは知るの です。そしてかれは、かれの創造である人類にとって最良のことを命じます。それゆえ、ムスリムはその信仰を表現する行動規範に沿って生きようと試みるので す。

ここで今それらを述べても私たちに とって有益にはならないでしょうから、その行動規範についての様々な詳細は省略します。しかしおそらくそれらの一部は質疑応答セッションで出てくるでしょ うから、質問はそこで喜んで引き受けます。私が論じたいことは、イスラームがいかに女性を見ているかであり、イスラームにおける女性観とは何か、というこ とです。ムスリムは初期のギリシャ学者や教会の神父のような、女性は不完全な人間であるという信条を掲げているのでしょうか?彼らは女性がサタンの化身で あるから、彼女らは忌避すべきであり、邪悪で危険な存在だと感じているのでしょうか?彼らの女性に対する理解はどのようなものなのでしょうか?私が述べた ように、クルアーンと呼ばれる啓示に基づいているイスラームの伝統を調査したのであれば、ムスリムは男性と女性が同一の人類であり、人間性において平等で あり、お互いの人間性の程度に相違はないと教えられていることが非常に明確になります。現在においては、私たちはそれを当然であるかのように受け取ります が、初期の西洋文明は女性が完全な人間ではないという既成概念の上に成り立っていたのです。


1400年も前にこのようなことが教えられていたということは、女性が完全なる人間であることが西洋の知識人たちによってここ100年間で認められ始めたことと比較すれば、革命的な理念だったのです。当初、女性たちは不完全な人間だと見なされていたのですから。


クルアーンは、人間の起源においてこのように述べています:

“人びとよ、われは一人の男と一人の女からあなたがたを創り、種族と部族に分けた。これはあなたがたを、互いに知り合うようにさせるためである。神の御許で最も貴い者は、あなたがたの中最も主を畏れる者である。(クルアーン 4913


クルアーンによるこの節は、人類が一人の男性と一人の女性から発祥したことを教えています。これが示すことは、男女は人間性において同等であるということです。同様に、女性章として知られる章なぜならここで述べられているのは女性に関わる法が大半を占めるからですにおける別の節でも、以下のようなくだりがあります:


 “人類よ、あなたがたの主を畏れなさい。かれはひとつの魂からあなたがたを創り、またその魂から配偶者を創り・・・


・・・またこれは、アダムとイヴについての言及です:

“・・・両人から、無数の男と女を増やし広められた方であられる。(クルアーン 4:1

ここでも男女に関する問題が取り上げられており、人類が一つの原点、一つの家族、そして一組の両親に由来することが述べられています。これは女性に、完全な人間性が与えられていることを意味します。


同様に、伝統的イスラームの第二の源泉である、預言者ムハンマド(彼に神の慈悲と祝福あれ)にまつわる伝承からも、女性は男性の双子の片割れであると預言者ムハンマドが述べたことが伝えられています。アラビア語のシャカーイクと いう言葉は、双子の片割れと訳されますが、何かを半分に割るという意味もあります。ここでの理解は、同じ本質を共有する単一の人類は双子の片割れ、つまり 片方は男性、もう片方は女性であるということです。このことはクルアーンによって何度も繰り返されています。預言者ムハンマドの言葉も同様にそのことを強 調しています。既に言及したように、女性は非完全な人間、配偶であるという伝統的西洋文化による女性観について熟考した場合、この概念の理解は非常に重要 なことなのです。現在では男女ともに完全な人間であることについては当たり前のことになっており、驚くようなことではないのですが、伝統的な西洋社会では 遅れてやってきた概念だったのです。


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