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ケニースL.ジェンキンス(ペンテコステ派教会の司祭及び長老・ アメリカ合衆国) (パート3 / 3)
私がムスリムの人達の生活 に違いを見たのは、サウジアラビアに到着してそれほど後のことではありませんでした。彼らはイライジャ・ムハンマドやルイス・ファラカーンの信者達とは違 い、あらゆる国籍や肌の色、言語を背景にした人々でした。私はすぐに、この特殊な宗教についてもっと学びたいと表しました。私は預言者ムハンマドの人生に 感銘を受け、もっと知りたくなったのです。私は、イスラームの布教運動に熱心なある兄弟に何冊かの本を依頼しました。私は、自分が求めていた全ての本を贈 られました。私はそれらを全て読破しました。それから聖クルアーンをもらい、4か 月に渡り何度も読み通しました。そしてどの質問にも満足いく答えを得ることが出来たのです。私を引き付けたことに、それらの兄弟達は彼らの知識量を印象付 けることに夢中ではありませんでした。もし彼らがその質問にどう答えるか知らなければ、ただ知らないと言い、誰か知っている人にそのことを確認しなければ ならないと言うのでした。そしてその翌日、彼はいつも答えを携えて来ました。私は中東のこれらの謎めいた人々の生活に、謙遜さがいかに大きな役割を担って いるかに気付きました。
私はまた、体を顔から足まで覆っている女性達に驚きました。そこにはいかなる宗教上の階層も見られませんでした。そして誰も宗教上の地位を競ってはいませんでした。これら全てが 見事でしたが、子供の頃から従ってきた教えを放棄することなどどうして考えられるでしょうか?聖書はどうなるのか?数えきれないほど何度も変更され改正さ れてしまってはいたけれども、そこにいくつかの真実があることを私は知っていました。それから私は、シェイフ・アハマド・ディーダトと牧師ジミー・スワ ガートとの間の議論に関するビデオテープをもらいました。そして私はその議論を見た後、まもなくムスリムとなりました。私 はシェイフ・アブドゥッラー・ビン・アブドルアズィーズ・ビン・バーズの事務所へと連れらて行かれ、正式に私のイスラームへ受け入れを宣言しました。私は 今後の長い旅のために、自分をどのように準備するかについての良いアドバイスを受けました。それはまさに、闇から光への誕生でした。私は教会の同僚達が、 私のイスラームへの改宗を聞いたらどう思うだろうかと考えていました。そしてそれを知るのは、そう後のことではありませんでした。私は休暇でアメリカに戻 り、そして “信仰心の欠如”を厳しく批判されました。私は「背教者」から「神に見捨てら れた者」まで、多くのレッテルを貼られました。人々は教会の指導者と呼ばれる人に、祈りにおいてでさえ私を思い出さないようにと言っていました。不思議な ように思われますが、私は少しも困惑していませんでした。私は全能の神が、私を正しく導くことをお選びになったことでとても幸せになり、他のいかなる事も 気になりませんでした。
今や私はクリスチャンであった時のように、ただ熱心なムスリムになりたかったのです。これは、もちろん勉強についてのことです。私は人がイスラームにおいて、好きなだけ成長出来ることに気付きました。そこに知識の独占はなく、それは誰でも学ぶ機会を利用したい人全ての ものでした。私はサヒーフ・ムスリムのセットを私のクルアーンの先生から贈り物として頂きました。それから私は、預言者(神の慈悲と祝福が彼にありますよ うに)の人生と言行を学ぶ必要性に気づきました。私は英語版のハディース集を可能な限り読み、勉強しました。そして私はこの時、自分の聖書の知識がキリス ト教徒の背景を扱う上で、大変有効な資産であることに気づきました。人生は、私にとって全く新しい意味を持ちました。最も深い考え方の変化の一つは、実際 のところ現世は来世での生活の準備のために過ごされるべきだということでした。自分達の意図にさえ報いがあると知ることも、新しい経験でした。もしあなた がよいことをする意図をもっていれば、あなたは報われるのです。これは教会の教えとは大変違っていました。その考え方は、 「地 獄への道は善意で舗装されている。」というものでした。それに打ち勝つ方法はありませんでした。もしあなたが罪を犯したのなら、そしてそれが姦通などの特 に大罪であれば、それは牧師に告白しなければなりませんでした。私たちは自分の行動により、厳しく裁かれていたのです。
現在と未来
アル=マディーナ新聞でのインタビューの後、私は自分の現在の活動や今後の計画について質問されました。 現時点では、アラビア語を学ぶことと、イスラームについてより一層の知識を得るために勉強を続けることが私の目標です。私は現在布教分野に取り組み、キリ スト教の経歴を持つ非ムスリムへの講義を求められています。もし全能の神が私の人生にもっと時間を与えてくれるなら、私は比較宗教に関してもっと書きたい と願っています。
イ スラームの知識を普及させることは、世界中のムスリムの義務です。長い時間を聖書の教師として費やしてきた者として、私は数百万人によって信じられている 間違い、矛盾や捏造された本の物語について、人々に指導することに特別な義務を感じます。最大の喜びの一つは、私はキリスト教徒達とほとんどの議論をしな くて良いということです。なぜなら私は、彼らが使用する議論のほとんどの技術を教えていた教師だったからです。私はまたキリスト教を守るために、どのよう に聖書を用いて議論するかも学びました。そして同時に私達は司祭として、各議論への反論を話し合ったり、漏洩したりすることが禁止されていることも知って いました。
神が私達の無知をお赦しになり、全ての人を天国への道に導かれることは私の祈りです。全ての称賛は神にあれ。神が彼の最後の使徒である預言者ムハンマドと彼の家族、そして彼の教友と、真の導きに従う者達を称賛されますように。