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イスラーム改宗の利点(中)

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1484 2015/03/16 2024/11/18

世 界中の多くの人々は、イスラームの基礎についての研究に没頭します。彼らはクルアーンの翻訳書を読み、預言者ムハンマド(神の慈悲と祝福あれ)の人生や時 代に魅了されます。彼らの多くは、イスラームについてほんの僅かな知識を知るだけで、直ちに改宗します。また、他者は真実を認識するものの、来世の人生を 危機に陥れる程に遅延を繰り返します。今回の記事では、あまり知られていないイスラーム改宗の利点について述べていきます。


 “イスラーム以外の教えを追求する者は、決して受け入れられない。また来世においては、これらの者は失敗者の類である。”(クルアーン3:85)


5.イスラームへの改宗は、創造主との生涯続く関係の構築における第一のステップです。

人間は皆、生まれた時から本能的に神の唯一性を知っています。預言者ムハンマドは、あらゆる子供はフィトラ1の状態、つまり神についての正しい理解をもって生まれてくると述べたことが伝えられてます2。イスラームは、人は本能的に創造主を知り、神を崇拝して満悦させることを求めることが人の本来の姿であると説きます。しかし神を知らない者、あるいは神との関係を構築しない者は、人間の存在意義について困惑・苦悩します。多くの人々にとって、神を人生の中で見出し、神の満悦する方法で崇拝に勤しむことは、人生にまったく新しい意味をもたらします。


“アッラーを唱念することにより、心の安らぎが得られないはずがないのである。”(クルアーン13:28)


礼拝や祈願などの崇拝行為によって、人はその無限の知識と叡智において人と共にある神の存在を感じ取るようになります。信仰者は、至高者である神が諸天を超越しているという知識を有しており、かれがあらゆる諸事において共にあるということに安堵します。ムスリムは決して孤独ではないのです。


“かれは地に入るもの、そこから出るもの、また天から下るもの、そこに上るものを知り尽される。あなたがたが何処にいようとも、かれはあなたがたと(知識を通して)共にあられる。アッラーはあなたがたの行う凡てのことを御存知であられる。”(クルアーン57:4)

 


6.イスラームへの改宗は、神による被造物への慈悲と赦しを明らかにしています。

人間という弱い存在として、私たちはたびたび喪失感や孤独感に苛まれます。そうした時に、 私たちは神の慈悲と赦しを求めます。神に対する真の帰依を通して、神による安寧が私たちにもたらされます。すると、私たちは神の慈悲の性質を感じ取り、周 りの世界にそれが顕著に現れていることが分かるようになります。しかし神を崇拝するためには、神を知らなければなりません。イスラームへの改宗は、神の慈 悲は無制限であることを含む、そうした知識への扉を開きます。


多くの人々は、人生の中で犯してきた罪について罪悪感や羞恥心を感じています。イスラームへの改宗は、それらの罪をあたかも起きなかったかのように完全に抹消します。新ムスリムは、新生児のような清らかな状態になります。


“不信心の者に言ってやるがいい。「あなたがたが(信者に対する迫害を)止めるならば、過去のことは赦されよう。」だがかれらがもし繰り返すなら、昔の先例が既にあるのだ。”(クルアーン8:38)


また、たとえイスラーム改宗後に多くの罪を犯したとしても、赦しの扉は常に広く開かれています。


“あなたがた信仰する者よ、謙虚に悔悟してアッラーに帰れ。恐らく主は、あなたがたの様々な悪を払い、川が下を流れる楽園に入らせるであろう。”(クルアーン66:8)

 


7.イスラームへの改宗は、試練や苦難が人生の一部であることを教えます。

ひとたびイスラームに改宗すれば、人は現世の試練や苦難が無作為で未組織な宇宙の営みなどではないことを理解するようになります。真の信仰者は、自らの存在が組織立った世界の一部であり、全能なる神が定めた方法で寸分の狂いもなく展開していることを理解します。


神は私たちが試されることを明言しており、私たちが試練や苦難において忍耐するよう勧めます。これは、試練・苦難においての振る舞いに関して明確な指針を与え、神の唯一性を説く、イスラームという宗教を受け入れない限りは理解の困難なものです。クルアーン、そして預言者ムハンマドにまつわる真正の伝承において見出すことのできるそれらの指針に従うのであれば、落ち着いた心で受難に向かい合い、それに感謝することが可能になるのです。


“われは、恐れや飢え、と共に財産や生命、(あなたがたの労苦の)果実の損失で、必ずあなたがたを試みる。だが耐え忍ぶ者には吉報を伝えなさい。”(クルアーン2:155)


預言者ムハンマドは述べています。「人は各々の宗教的献身性によって試みられるのであり、信仰者は地上を全く罪の重荷なき状態で歩くようになるまで、試みられ続けるのである。」3ムスリムはこの世界、この人生が永遠に続くことになる地獄、もしくは天国への旅の中の束の間の停留の場に過ぎないことを確信しています。罪の重荷なき状態で創造主に向かい合うということは素晴らしいことであり、私たちに振りかかる苦難は十分に価値あるものなのです。


次回の記事では、イスラームが人生の指針であることに言及して締めくくります。イスラームは私たちによる他者への権利・義務・責任を明確に定義し、動物や環境を保護します。イスラームはその大小を問わず、人生におけるあらゆる疑問に対する答えを持っているのです。



脚注:

  フィトラとは、生来の純粋な状態のことを指します。

  サヒーフ・ムスリム

          イブン・マージャ

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アッラーの使徒ムハンマドの後援サイトIt's a beautiful day