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ダイアン ・チャールズ ・ブレスリン(元カトリック教徒、アメリカ合衆国)(パート2 /3)

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1488 2015/05/02 2024/10/06

の人々

私がクルアーンについて聞いたのは、修士号の準備をしていた時でした。それまでの私はほとんどのアメリカ人同様、 "アラブ人"  を神秘的で、我々の文明を奪おうとする邪悪な略奪者という位にしか認識していませんでした。イスラームについて触れられることと言えば、険悪で汚いアラ ブ人、砂漠のラクダとテントということくらいしかなかったのです。私は子供の頃よく宗教の授業で、「他の人々」とは誰だったのか、と疑問に思っていまし た。イエスはカナー、ガリラヤそしてナザレを歩きましたが、彼は青い目をしていました。しかし他の人々は誰だったのでしょうか?私は、どこかに欠けている 輪があるという感覚を持っていました。そして私達は1967年 のアラブ・イスラエル戦争の折、その「他の人々」を初めて一見し、そして彼らの大半は明らかに敵としてみなされました。しかし、私は容姿を問うことなく、 彼らを好きになりました。私はこの日まで、その理由を説明できません。そして現在私は、彼らを自分のムスリム同胞だと認識しています。

クルアーンを最初に読んだのは、私が35歳位の時でした。私はそれを、自分が修士号で専攻している地域の住民の宗教と親しむために、軽い参照を目的に開きました。神は私に、「信仰者章)の52-54節を開かせました:

“本当にあなた方のこのウンマ(共同体)は,唯一の共同体である。われはあなた方の主である。われを畏れよ。それなのに彼らは諸宗派に分裂した。しかも各派は自分たちが素晴らしいと言っている。だから当分の間,迷いのままに彼らを放置しなさい。”(クルアーン23:52-54)

私はこれを最初に読んだ時 から、これが全ての人間の本質を暴露し、かつ私が歴史専攻の学生として勉強した全てを検証する性質を備えた、明確で説得力のある本当の真実であるというこ とを知りました。そこには人間の真実に対する哀れな拒絶、他者に秀でるためのその無駄で絶え間ない競争と、存在の目的に対するその怠慢さが、全て短い言葉 で表現されていました。国家の地位、国籍、文化、言語などを基礎とした、自分こそが優位であるという全ての感情、あるいは全ての独自性は実際のところ、私 たちが分かち合うことを喜ぶべき唯一の真実- すなわち全てを創造し、全てを所有される唯一の主にへ仕えること、を隠蔽しているのです。

私はまだ、イエスとマリアを愛している

子供の頃私はよく、「聖母マリア、罪人なる我らの為に、今も臨終の時も祈り給え、アーメン」という句を唱え、 "祈り"の中に聖母マリアを見 出しました。私には今、マリアが神の母としての誤解によりどれほど中傷されてきたかが分かります。彼女のことは、神の偉大な預言者イエスを処女として産む ために、全女性の中から選りすぐられたという見解だけで極めて十分なのです。私の母はよく、彼女も母であり母の悲しみを理解しているのだと説明することに より、継続的にマリアからの救いを懇願するという行動を擁護したものです。私の母だけではなく全人にとって、マリアがどれだけその時代のユダヤ人により、 最も卑劣な罪、姦淫の罪により責められたかを熟考することは大変有益です。全能の神により疑惑を晴らされ、彼らの中傷の全てに耐える強さを授けられるだろ うことを知って、彼女はこれら全てに耐えたのです。

マリアの信仰と神の慈悲への信頼の認識は、彼女が全女性の間で最も高貴な位置にあることを認識させるとともに、彼女を「神の母」などと呼ぶ、彼女の時代のユダヤ人の彼女に対する誹謗よりも悪い中傷を取り除きます。ムスリムとして、 あ なたはマリアとイエス・キリストを愛するでしょう。しかし神こそは従うべき唯一の存在であることゆえ、神をより愛することは天国の報奨へと繋がるのです。 神こそは、誰もあなたを助けることが出来ない日にあなたを裁くお方です。あなたとイエス、そして彼の祝福された母マリア、そしてムハンマドを創造されたの は神なのです。全ては死に去ったか、あるいは死にゆくもののいずれかでしかありませんが、神が死ぬことはないのです。

イエス( アラビア語でイーサー)は1度 も自分が神であると主張したことはありません。むしろ、彼は繰り返し自分自身に、自分は一人の使徒に過ぎないと言い聞かせていました。私の青春時代に経験 した混乱を振り返ると、その根本的理由は、イエスが彼自身が認めていた以上のものであったとする教会の主張にありました。教会の神父は、三位一体の概念を 発明するための学説を考案しました。それは、この三位一体の問題の核である律法とインジール (福音)(モーセとイエスに与えられた啓典)の混乱した訳文なのです。

公正な事実において、イエ スは一人の預言者であったと述べることで十分です。そう、彼を遣わされた唯一のお方の言葉を携えて来た、一人の使徒だったのです。もし私たちがイエス(彼 に神のご慈悲と祝福がありますように)を正しい光のもとで見れば、全人類を同じメッセージ-全てを創造され、私たち全てがその御許へと帰るべきお方である 唯一の全能の神を崇拝すること-へと呼びかけるためにやって来たその弟分としてのムハンマド(彼に神のご慈悲と祝福がありますように)を受け入れることは 簡単なことなのです。それは、彼らの身体的特徴を論じた結果などではありません。アラブ人、ユダヤ人、 白人 、 青や茶色の目、髪の長さや短さなどの全てのことは、メッセージを携えた使徒としての重要性とは完全に無関係なのです。イスラームを知った後の今現在、イエ スを思う時にはいつでも、私は幸せな家族-信者の家族-の中にいると感じるのです。あなたは、イエスが彼の主に帰依した一人のムスリムであったことを知る でしょう。

十戒"の冒頭にはこうあります:

1.わたしのほかに神があってはならない。

2.あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。

誰でも“ラー・イラーハ・イッラッラー” (真の神以外に神はない)の正確な意味を知っている者は、すぐにこの証言の類似性に気付くことでしょう。こうすれば、私たちは全ての預言者の真実の物語を集め、全ての歪曲に終焉をもたらすことが出来るのです。

“また彼らは言う。「慈悲深き御方は子を設けられる。」確かにあなた方は,酷いことを言うものである。天は裂けようとし,地は割れて切々になり,山々は崩れ落ちよう。(クルアーン19:88-90) ”

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