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親戚・隣人としての女性
イスラーム法では、男性に制定されている一般的権利と同様のものが女性にも同様に定められています。公共社会の福祉に対する配慮、および相互補助の精神はイスラーム的社会システムならではのものです。預言者(r)は言われています:
“信仰者たちはお互いへの思いやり、愛情、慈悲において一つの身体のようであり、身体の一つの部位に問題があると身体全体に熱が広がり、落ちつくことが出来ないのである。” [ムスリム 2586番]
また彼(r)はこうも言われました:
“信仰者たちはそれぞれ堅固な建物のようであり、お互いを支え合う。” そう言って彼は両手の指を絡み合わせました。[ブハーリー 467番、ムスリム 2585番]
女性は叔母、姪、従姉妹やどのような親族であれ、そしてお互いの親等的近縁性に関わらず、アッラーが善行、懇切、協力するよう命じた親族に数えられます。至高なるアッラーは、聖クルアーンにおいて仰せられています:
(汝らは、もし権威を与えられれば、地上に退廃をもたらし、また血縁の断絶を望むのか。) (47:22)
また預言者(r)は言われました:
“血縁の絆を断つ者は、決して天国に入ることはない。” [ムスリム 2556番]
また彼(r)はこのようにも言われました:
“貧しい者への施しは一つの施しであり、(貧しい)親族への施しは二つの施しである。というのもそれは施しそのものと、親族との間柄を保つことであるから。” [ティルミズィー 658番、イブン・マージャ 1844番]
もし女性の隣人がムスリムであれば、彼女には二つの権利が与えられます。それはイスラームに関する権利、そして隣人に関する権利です。至高なるアッラーは聖クルアーンにおいて仰せられています。
(アッラーに仕えよ。何ものをもかれに併置してはならぬ。父母に懇切を尽くし、また近親や孤児、貧者や血縁のある隣人、血縁のない隣人、道づれの仲間や旅行者、および汝らの右手が所有する者(に親切であれ)。アッラーは高慢な者、うぬぼれる者を御好みになられない。) [4:36]
イスラームは、ムスリムが隣人を大切にすることを義務付けます。アッラーの使徒(r)は述べられています:
“ジブリール(大天使ガブリエル)は隣人へ配慮するよう、私に執拗に勧め続けたため、私は隣人が合法的な相続権を得るのではないかと思った程だった。” [ブハーリー 5668番]
また彼(r)はこのようにも言われました:
“アッラーに誓って、彼は信仰者ではない。 アッラーに誓って、彼は信仰者ではない。アッラーに誓って、彼は信仰者ではない! ”
彼らは尋ねました:“アッラーの使徒よ、誰のことでしょうか?”
彼は言いました:“隣人の安全を脅かす者である。” [ブハーリー 5670番]
また、アスファハーニー著ヒルヤトゥル=アウリヤー の中で、教友タルハ(t) がこのように言ったと伝承されています:
“ある夜、ウマル・ブン・アル=ハッターブ(t)が彼の家から出て行った。私は彼が夜間に何をしているのか探るため、彼の後を付けた。私は彼がある家に入り、しばらくすると出て来てまた別の家に入るのを見た。翌朝、私はそこに誰が住んでいるのかを確認するため、最初の家を訪れた。驚くべきことに、そこには盲目で身体の不自由な一人の老女がいた。私は彼女に聞いた:‘昨夜ここに来た男は、何をあなたに求めたのですか?’
彼女は言った:‘あの男性はこのところ私の世話をしてくれていた方で、私の求めに応え、手伝い、養ってくれていました。’
タルハは自分に言った:‘なぜ私はウマルの行為を勘ぐったりしたのだろうか。’
アッラーの使徒(r)は言われています:
“寡婦や貧者を養う者は、あたかもアッラーの道にある者のようである。そしてかれはこう言ったかのようだった:座ることなく礼拝に立つ者のようであり、解くことなく斎戒する者のようである。” [ブハーリー 5038番、ムスリム 2982番]
これらは女性の権利を概要するイスラームの教えの中の、女性への栄誉、敬意、配慮、そして扶養の特徴的側面の一部です。私たちは、この地球における人類の歴史上、女性はかつてこれほどの敬意を栄誉を受けたことはないと断言します。伝承を元に様々な時代を見ても、イスラーム法は女性の人生を通して、彼女に対する犯罪や虐待などを決して見逃しはしなかったことを示しているのです。