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諸使徒への信仰がもたらす諸利益
アッラーが派遣した諸々の使徒や預言者を信じることには、以下のような利益があります:
[1]アッラーからのそのしもべに対する愛と慈悲の実感:アッラーはその宗教を人々に伝達するために使徒たちを遣わしたのであり、また彼らは人々の間のよき模範でもありました。
[2]真の信仰者とそうでない者の判別:自らの使徒を信じる者は、その啓典の中に言及されている他の使徒や預言者を信仰しなくてはなりません。
[3]自分たちの使徒や預言者を信じていた者がムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)を信じることで、倍の報奨を得ることになります。
- 最後の日への信仰
イスラームでは、この世界での生活がある日終局を迎えるということを信じます。至高のアッラーはこう仰いました:
-かれ(アッラー)の御顔を除く万象は滅び去る。,(クルアーン55:26)
そしてアッラーがこの世の終局を望んだ時、かれは天使イスラーフィールにラッパを吹くように命じます。このとき地上の全てのものは崩壊します。そして再度アッラーが彼にラッパを吹くよう命じた時、アダムの時代からの全ての者はその墓場から肉体をもって復活するのです。アッラーはこう仰ります:
-そして角笛が吹き鳴らされ、アッラーがお望みになられるもの以外の天地の全てのものは気を失う。それからもう一吹きされると、彼らは立ち上がり眺め回す。,(クルアーン39:68)
最後の日への信仰には、そのことについてアッラーとその使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)が伝えたことの全てを信じるということも含まれます。以下に示すのはその主な例です:
[1]境界上の生を信じること:境界とは、人が死んでから最後の日を迎えるまでの時間帯を意味します。信仰者はそこにおいて安寧の時を過ごしますが、不信仰者は懲罰を受けます。至高のアッラーはこう仰いました:
-(それは)彼らが(死後復活の時が来るまで)朝に夕に晒される業火。そして審判の日には、(アッラーが天使たちにこう命じられて言われる)「ファラオの一族を最も過酷な懲罰の中に投げ込むのだ。」,(クルアーン40: 46)
[2]復活を信じること:アッラーは人々を全裸で裸足のまま、そして割礼されていない状態で復活させます。至高のアッラーはこう仰いました:
-不信仰者たちは、(死後)蘇らされることなどはないと思い込んでいる。言え、「いや、私の主にかけて。あなた方は蘇らされ、(現世での)所業を通達されるのだ。そんなことはアッラーにとって他愛もないことである。」,(クルアーン64:7)
多くの人は、死後全ての被造物が復活させられることを信じません。それゆえクルアーンは多くの譬えを用いて、その事実を強調するのです。その例を以下に挙げていってみましょう:
- 不毛の土地から様々な種類の植物が発生するのを観察すること。至高のアッラーはこう仰いました:
-またあなたは干からびた大地にわれら(アッラーのこと)が雨が降らせると、それが振動して(そこから植物が芽を出し)伸び上がり、あらゆる種類の麗しい植物が生育するのを見るのだ。これはアッラーこそが真理であり、かれが死者を生き返し、そしてかれが全能であるからに他ならない。また(最後の)時は疑念の余地なく到来し、アッラーが墓の中にいる者たちを蘇らせるからである。,(クルアーン22:5-7)
- 人類の創造よりも遥かに偉大である、天地の創造について思いを巡らせること。至高のアッラーはこう仰いました:
-彼らは天地を創造され、それらの創造で疲弊されることなどなかったアッラーが、死人に生を授けることがお出来になるとは考えないのか?いや、かれこそは全てのことがお出来になるお方なのである。,(クルアーン46:33)
- 死後の復活にも相似した、睡眠後の人間の覚醒について熟慮すること。実際、睡眠は「小さな死」と呼ばれることもあります。至高のアッラーはこう仰いました:
-アッラーはその(定められた)死期にある魂と、眠りの中にあるまだ死んではいないそれ(魂)をお召しになられる。そして死を定められたものは(その御許に)留め置き、そうではないものは既定の時期まで解き放たれる。実にこの中には熟考する民へのみしるしがあるのだ。,(クルアーン39:42)
- 自分自身の創造をよく吟味すること。至高のアッラーはこう仰いました:
-そして(不信仰者は)自らの創造のことを忘れて、われら(アッラーのこと)に向かって(死後の復活を否定する)譬え話をしてこう言う:「朽ち果てた骨を誰が生き返らせるというのか?」言え、「それを最初に創造されたお方が、(また)それに生をお与えになるのだ。かれは全ての創造についてご存知であられる。」,(クルアーン36:78-79)
[3]召集を信じること:アッラーはその日全ての被造物を召集し、現世での行いの清算のために呼び集めます。至高のアッラーはこう仰いました:
-そしてその日われら(アッラーのこと)は山々を動き回らせ、あなたは大地(に秘められた全てのもの)が明らかになるのを見るであろう。そしてわれらは彼らを召集し、誰一人としてそれを免れる者はいない。,(クルアーン18:47)
[4]その日人は各自ふさわしい位階を与えられ、アッラーの御前に連れて来られるということを信じること:至高のアッラーはこう仰いました:
-そして帳簿が置かれ、あなたは(真理を否定していた)罪悪者たちがそこに(記されて)あるものに怯えるのを目にするだろう。そして彼らは言うのだ:「何たることだ、この帳簿には(現世で行ったことが)小さいことも大きいことも漏れなく数え尽くされているではないか!?」そして彼らは自ら行ったことを眼前に見る。あなたの主はいかなる者にも不正を施されない。,(クルアーン18:48)
[5]その日人の手足までもが、現世でのその行いを証言するということを信じること:至高のアッラーはこう仰いました:
-そして地獄の業火までやって来ると、彼らの聴覚と視覚と皮膚は、彼らが(現世で)行っていたところの悪行を証言し始める。(彼らは)自らの皮膚に向かって言う:「どうして私たちに不利になる証言をするのだ?」(彼らの皮膚は)言う:「あらゆるものを喋らせることのお出来になるアッラーが、私たちを喋らせられたのです。」かれ(アッラー)はあなた方を最初に創られたお方。そしてあなた方は彼の御許へと還るのだ。またあなた方は(現世において)、あなた方の聴覚と視覚と皮膚があなた方(の悪行)を目撃するのを避けることは出来なかった。そしてアッラーがあなた方の行いをよくご存知でないと、高を括っていたのだ。,(クルアーン41:20-22)
[6]その日尋問されることを信じること:至高のアッラーはこう仰いました:
-(アッラーは天使たちに言う:)「そして彼らを止めよ。彼らは(現世での所業を)尋問されるのである。」(天使たちは彼らに言う:)「一体どうしたというのか?(現世でそうしていたように)あなた方は(この困難の中で今)助け合わないのか?」いや、(そうすることは出来ない。)その日彼らは完全に降伏しているのだ。,(クルアーン37:24)
[7]地獄の業火に架けられた橋を渡らされることを信じること:全ての者がそこを渡らされることになります。至高のアッラーはこう仰いました:
-そしてあなた方は皆地獄(の架け橋)にやって来る。それはあなたの主が必ずご遂行されることなのである。,(クルアーン19:71)
[8]現世での行いを秤にかけられることを信じること:その日アッラーは人々を清算のために召集し、善行者‐正しい行いや信仰、使徒たちへの信奉などを遵守していた者‐にはそれにふさわしいものでもって報います。そして悪行を行っていた者には、懲罰でもって報いるのです。至高のアッラーはこう仰いました:
-そしてわれら(アッラーのこと)は審判の日のために公正な秤を設けるゆえ、魂はいかなる不正も被ることがない。そしてからし種一粒ほどの重さ(の行い)でも、われらは提示しよう。われらは清算者として完全なのである。,(クルアーン21:47)
[9]現世での行いの帳簿を受け取ることを信じること:至高のアッラーはこう仰いました:
-それでその帳簿を右手に受け取る者は、その清算を易しくされるだろう。そして嬉々として(天国の)仲間の所へ向かうであろう。一方帳簿を背後から受け取る者は、その(来世での)破滅を悔いるであろう。それから燃え盛る炎の中に連れて行かれるであろう。,(クルアーン84:7-12)
[10]人は報いを受けるということを信じること:つまり永遠の来世において、天国か地獄かを与えられるということです。至高のアッラーはこう仰いました:
-啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)とムシュリク(シルク[1]を犯す者)たちの内で(真実を)隠蔽し認めない者たちは、地獄の業火に永遠に留まることになる。彼らこそは創造物の内でも最悪の者たちなのだ。そして信仰し善行に勤める者たちこそは、創造物の内でも最善の者たちである。彼らのその主の御許での報奨はその下を河川の流れるエデンの園であり、そこに永遠に暮らすのだ。アッラーは彼らにご満悦であり、彼らもまたかれに満悦する。これこそ(現世で)その主を畏れていた者の報いなのだ。,(クルアーン98:6-8)
[11]預言者の水飲み場[2]とその執り成しを信じること:そして、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から伝わるそれ以外の全ての事象について信じることです。
最後の日への信仰がもたらす諸利益
最後の日への信仰がもたらす諸利益には、以下のようなものがあります:
[1]人をその日のために準備させ、競い合って善行に励み、罪深い行いを回避し、アッラーの懲罰を恐れさせます。
[2]信仰者を安心させます:というのも彼らはこの世界で何かを控えれば、アッラーが来世においてそれよりも素晴らしいもので報いてくれることを知っているからです。
[3]真の信仰者と、そうではない者の判別。
- 定命への信仰
ムスリムは、アッラーが全ての物事が存在する以前からそれらを知っており、かつそれらが存在した後のことも全て知っているということを信じます。ゆえにかれはその知識とご意志において、全ての存在を存在せしめたのです。至高のアッラーはこう仰いました:
-実にわれら(アッラーのこと)は、定命をもって全てのものを創った。,(クルアーン54:49)
過去や現在、未来に関わりなく、発生する全ての事象はアッラーの知識のもとにもたらされます。全てはかれのご意志と裁定に沿っているのです。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:
「しもべは良いことであれ悪いことであれ定命を信じ、また既に起こったことが起こるべくして起こり、起こらなかったことがそもそも起こることにはなっていなかったということを知るまで、信仰したことにはならない。」(アッ=ティルミズィーの伝承)
しかしこの信仰が、人は努力しなければ物事を達成しないという事実と矛盾することはありません。例えば子供が欲しいのであれば、結婚するなどのある種の物事を行わなければ、その目的を達成出来ません。そして彼がその能力において可能な全てのことを行ったとしても、彼はその目的を叶えることが出来るかもしれませんし 、あるいは出来ないかもしれません。これは人が何らかの目標を達成するために行うことのみが、それが実現するための真の理由ではないことを知るためなのです。真の理由とはアッラーのご意志以外の何でもなく、それら目的達成の手段もまたアッラーからの神的裁定によるものなのです。ある時アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、ある者にこう訊ねられました:
「私たちは薬をもって治療し、クルアーンでもって魔除けを行いますが、果たしてこれらはアッラーの定命を覆すのでしょうか?」彼は応えました:「それら自体がアッラーの定命の内なのである。」(アル=ハーキムの伝承)
飢えや渇き、寒さなどもまた定命によるものです。そして人は食物の摂取によって飢えを、飲料の摂取によって渇きを、暖を取ることで寒さを凌ぐことが出来ます。人は飲食や暖を取ることなど、既に定められている物事によって飢えや渇き、寒さなどから身を防ぐことが出来るのです。つまりある種の定命でもって、別の定命を防ぐのです。