諸天使への信仰がもたらす諸利益

諸天使への信仰は、私たちは以下のような利益をもたらします:

[1] アッラーの偉大さとその威力、その全てを包括する知識と御意志を知ること。被造物の壮大さは、その創造主の壮大さの証明でもあります。

[2]天使が傍で自分の全ての言行を監視していること、そして全ての言行は自分を益するものか害するものかでしかないということを感じること。また一人きりでも公衆の面前でも罪を避けさせ、善行へ駆り立たせる効果もあります。

[3] 不可知の領域に関する誤った信仰から生まれる、虚偽や迷信などからの脱出。

[4]アッラーがそのよきしもべに示してくれる慈悲について知ること。

  1. アッラーの諸啓典への信仰 

アッラーの諸啓典への信仰とは、アッラーがそれを人類に伝達させるべく、その使徒たちに啓典を下したということを信仰することです。これらの啓典は全て、啓示された時点では真実以外の何ものをも含んではいませんでした。それらにはアッラーが唯一であり、かれ以外には創造者も真の管理者も所有者もなく、全ての崇拝行為はかれのみに捧げられなければならず、かれにこそ全ての美名と卓越した属性が属している、といったメッセージが示されていたのです。かれは被造物のいかなるものにも似ておらず、かれに匹敵するものは何一つありません。至高のアッラーはこう仰いました:

-われら(アッラー)は、明証と共にわれらの使徒たちを遣わした。そして彼らと共に啓典と秤も下したが、それは人々が公正を行使するためだったのである。,(クルアーン57:25) 

ムスリムは全ての啓典を信じ、またそれらが本来アッラーから下されたものであるということを信仰しなければなりません。但しそれらの啓典は特定の時代に特定の民に下されたものであるため、ムスリムがその法を堅持することは許されません。

[1]アブラハムとモーゼの書:クルアーンはこれらの書の中に、いくつかの宗教的基礎を簡潔な形で見出しています。至高のアッラーはこう仰いました:

-それともモーゼの書にあることが、告げられなかったというのか?そして(信託を)完遂したアブラハムのそれも?魂は他の魂の重荷を負わされることはない。そして人間は、自らが努力したもの以外のものを得ることはない。彼は自分の努力を目にするであろう。それから十分な報いを受けるであろう。そして行き着く先は、あなたの主以外の何ものでもないのだ。,(クルアーン53:36-42)

[2]トーラー:トーラーはモーゼに下された、聖なる書です。 至高のアッラーはこう仰いました:

-実にわれら(アッラーのこと)は、正しい導きと光を宿したトーラーを下した。アッラーに服従した預言者たちは、それでもってユダヤ教徒たちを裁いていたのだ。そしてまた学識豊かで敬虔な者たちや律法学者らも(そうした)。それは彼らがアッラーの書(トーラー)の保持を託され、また(そこに記されていることに対する)証人であったためである。ゆえに人々を恐れず、われ(アッラーのこと)を畏れよ。僅かな値段でもってわがみしるしを売ったりしてはならない。そしてアッラーの下されたもの(イスラーム法)以外のもので裁く者こそは、不信仰者なのである。,(クルアーン5:44)

クルアーンは、トーラーの中にあるいくつかの教義も説明しています。その中には、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のいくつかの特徴に言及しているものもあります。至高のアッラーはこう仰っています:

-ムハンマドはアッラーの使徒である。そして彼と共にある者たちは不信仰者たちに対しては厳しく、彼ら自身の間では慈しみ深い。あなたは彼らがアッラーの報奨とご満悦を求めてルクーゥ[1]し、サジダ(伏礼)するのを見るだろう。彼らの印は、サジダの痕跡としてその顔に表れている。これこそはトーラーにおいて記されている譬えであり、福音書において記されている譬えである。,(クルアーン48:29)

アッラーはまたクルアーンの中で、トーラーにおいて啓示されたいくつかの宗教法規定に関しても触れています。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)は、その(トーラーのこと)中で彼らに対し定めた:命には命で、目には目で、鼻には鼻で、耳には耳で、歯には歯で、そして傷害は(同様の傷害によって)報復される。しかしそれを免じてやる者は、それが彼にとっての贖罪となろう。アッラーが下されたもので裁かない者は、実に不正者なのである。,(クルアーン5:45)

[3]ザブール(詩篇): ザブールは預言者ダビデに下された書です。至高のアッラーはこう仰いました:

-…そしてわれら(アッラーのこと)はダビデに、詩篇を下した。,(クルアーン4:163)

[4]福音書:福音書はイエスに啓示された聖典です。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)は、それ以前に下されたトーラーの中にあるものを確証するため、マリヤの子イエスに彼らの跡を踏襲させた。そしてわれらは、彼に正しい導きと光を宿した福音を授けた。それはそれ以前に下されたトーラーの中にあるものを確証し、アッラーを畏れる者たちへの導きと訓戒とするためである。,(クルアーン5:46)

またクルアーンは預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が将来遣わされることなど、トーラーと福音書の中に見出されるある種の内容についても言及しています:

-(アッラーは)仰った:「わが懲罰は、われが望む者に降りかかるのだ。そしてわが慈悲は全てのものを包み込んでいる。ゆえにわれは(われを)畏れ、ザカー(浄財)を払い、われら(アッラーのこと)のみしるしを信じる者たちにそれを授けよう。」トーラーと福音書の中に記されているのを彼ら(啓典の民)が見出すところの、文盲の使徒、預言者(ムハンマド)に従う者たち。彼こそは善を勧め悪を禁じ、彼らによきものを合法なものとし、悪しき物を彼らに禁じる。そして(彼は)彼らが背負っていた重荷と、彼らにはめられていた枷を取り除くのだ。ゆえに彼を信仰し、また敬いかつ援助して、彼と共に下された光に追い従う者たちこそは、真の成功者なのである。,(クルアーン7:156-157)

またそれらの啓典は、アッラーの宗教の興隆のために奮闘することを促しています。至高のアッラーはこう仰いました:

-実にアッラーは、天国と引き換えに信仰者たちの生命と財産を購われた。(それはつまり彼らが)アッラーの道において殺し、殺される(ことである)。これはトーラーと福音書とクルアーンにおいて(アッラーが約束された)真実のお約束なのである。そしてアッラーよりもその約束に対して忠実なお方があろうか?それゆえあなた方が契りを結んだ取引を喜ぶがいい。それ(天国)こそはこの上ない勝利なのである。,(クルアーン9:111)

[5]聖クルアーン:ムスリムは、クルアーンが天使ガブリエルを通して預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)にアラビア語で下された、アッラーの御言葉であることを信仰しなければなりません。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてそれ(クルアーン)は万有の主からの啓示である。(それは)忠義なる魂(ガブリエル)によって下った。警告者となるべく、あなたの心に。明瞭なアラビア語によって。,(クルアーン26:192-195)

クルアーンは先の諸啓典と、以下のような点において異なっています:

a)クルアーンは、そのメッセージがアッラーの唯一性とかれへの崇拝と服従の義務であるという点においてそれ以前の諸啓典を確証する、最後の啓典です。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)はあなたに、真実をもって(クルアーン)を下した。それはそれ以前の諸啓典を確証し、かつ従属させるものである。,(クルアーン5:48)

b)クルアーン以前の諸啓典は、クルアーンの啓示によって無効化されました。そしてその教えは神聖かつ最終的なものであり、また時代や場所を問わず適応する永遠のものなのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-この日われ(アッラーのこと)はあなた方に対し、あなた方の宗教を完成させた。そしてあなた方への恩恵を全うし、イスラームがあなた方の宗教であることに満足した。,(クルアーン5:3)

c)クルアーンはそれ以前の諸啓典のように特定の民族に下されたのではなく、全人類に下されました。アッラーはこのように仰っています:

-そしてわれら(アッラーのこと)はあなたを、福音と警告を告げる者として人類全てに向けて遣わした。しかし多くの人々は知らないのだ。,(クルアーン34:28) 

クルアーン以外の諸啓典は宗教的基礎においてクルアーンと一致する部分も多いのですが、それらは特定の人々に向けられたものでした。そのためそれらの法や規則は、その民のみを対象としています。福音書の中には、イエス自身がこう言ったと記されています:

私はイスラエルの系譜の、迷えし羊たちにのみ遣わされたのである。」(マタイ伝15:24)

d)クルアーンの朗唱と暗記、教授は一つの崇拝行為と見なされます。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:

「クルアーンを朗誦する者は誰でも、十の報奨を得よう。“アリフ・ラーム・ミーム”は一つの語なのではない。“アリフ”も“ラーム”も“ミーム”も、それぞれ一語なのである。」(アッ=ティルミズィーの伝承)

e)クルアーンには、社会を改善するために必要な全ての法規定が内包されています。ドーマン(H.G. Dorman)はその著“Towards understanding Islam”の中で、こう述べています: 

「クルアーンはガブリエルによってムハンマドに伝えられた、その一語一句が完璧さを極める文字通りの神の啓示である。そしてそれは今もそれ自体、そして神の使徒であるムハンマドに対して証言し続けている、一つの奇跡なのだ。その奇跡的性質は一部はその文体に存在しており、その余りの高尚さと完璧さゆえにいかなる人間やジン(精霊的存在)も、クルアーンの最も簡潔な章に匹敵するようなものすら創作することが出来ない。またその一部はその中に未来に起こることの予言が含まれていることであり、そのような驚くべき正確な情報が文盲であったムハンマドが自ら収集したものとは到底思えないのである。」

f)クルアーンは様々な使徒や預言者に啓示された天啓宗教の連鎖を説明する、一つの歴史的報告です。そこにはアダムからムハンマド(彼ら全員にアッラーからの祝福と平安あれ)まで、全ての使徒や預言者とその民との間に起こった出来事が伝えられているのです。

g)アッラーはクルアーンをあらゆる改竄や歪曲、付加や損傷などから守りました。至高のアッラーはこう仰っています:

-実にわれら(アッラーのこと)は、訓戒(クルアーン)を下した。そしてわれらはその守護者なのである。,(クルアーン15:9)

h)その他の啓典に関しては、アッラーはその守護を約束しませんでした。というのも、それらは特定の時代と特定の民に対して下されたものだからです。それらが改竄されたのは、まさにこういった理由からです。至高のアッラーはこう仰いました:

-あなた方(信仰者)は、彼ら(不信仰者たち)があなた方を信じることを所望すると言うのか?彼らの一部はアッラーの御言葉を聞き、それを理解した後に及んで、知りつつそれを改変したというのに。,(クルアーン2:75)

キリスト教徒による福音書の改竄に関して、至高のアッラーはこう仰っています:

-そして「私たちはキリスト教徒です」と言う者たちとも、われら(アッラーのこと)は契約を結んだ。しかしその後、彼らは彼らに与えられた訓戒の一部を忘れてしまった。それでわれらは審判の日に至るまで、彼らの間に敵意と憎悪を生じさせた。アッラーは彼らが行っていたことを、彼らに告げ伝えられるであろう。啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)よ、あなた方のもとに、あなた方がその啓典において隠蔽していた沢山の物事を明らかにし、また(その他の)沢山の物事については看過(して、イスラームにおけるその合法性の継続を確証)すべく、われら(アッラーのこと)の使徒が到来した。実にアッラーの御許からあなた方のもとに、光と明白なる啓典がもたらされたのだ,(クルアーン5:14-15)

ユダヤ教徒とキリスト教徒がその宗教において革新した物事の一つとして、彼らがアッラーに息子を結び付けたという虚偽が挙げられます。あるユダヤ教徒らはエズラがアッラーの息子だと、そしてキリスト教徒はイエスがアッラーの息子であると主張していたのです。この件に関し、至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてユダヤ教徒はウザイル(エズラ)がアッラーの子であると言い、キリスト教徒はマスィーフ(イエス)がアッラーの子であると言った。それは口先だけの彼らの言い分であり、彼ら以前の不信仰者たちの言葉を模倣しただけのものである。彼らにアッラーの呪いあれ。彼らはいかに(真実から)逸れ去ってしまったものか。,(クルアーン9:30)

そしてアッラーは彼らの主張に反駁し、人が抱くべき正しい信仰についてこう明白にしています:

-言え、「かれこそは唯一なるアッラー。アッラーこそは全てのものが依拠するところの主。かれは生むことも生まれることもなく、そしてかれに匹敵する何ものもない。」,(クルアーン112:1-4)

ここからも明らかなように、今日出回っている聖書はアッラーの御言葉でもなければ、イエスの言葉でもありません。それらはイエスの追随者や学徒らの言葉なのです。そこにはイエスの生涯や訓戒や命令などが含まれていますが、ある特定の意図をもって多くの改竄がなされてしまったのです。スティーブ・アレン(Steve Allen)はその著「On the Bible, Religion, & Morality」の中で、こう述べています:

「聖書における間違いの数は、約六千にも及んでいる!この事実を、聖書が完全に無謬であるという一般的な考えと合致させようという試みは、到底不可能である。」 [2]



[1] 礼拝の中における、お辞儀のような形式の動作のことです。

[2] 'On the Bible, Religion, & Morality' 52頁。.

 

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