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イスラームの基幹

718 2019/01/24 2024/11/18

イスラームの基幹

身体と言葉をもって行われる種類の崇拝行為を、イスラームの基幹と呼びます。それはイスラームという宗教がそれを基礎にして成立し、かつその実践をもって人がムスリムかどうかを判断される基準となるものです。その基幹とは以下のようなものです:

  • 二つの信仰証言(シャハーダ):イスラームにおける言葉に関連した基幹です。
  • 礼拝(サラー)と斎戒(サウム):イスラームにおける二番目と四番目の基幹であり、いずれも身体に関連した崇拝行為です。
  • 義務の浄財(ザカー):三番目の基幹で、義務の喜捨をするという身体に関連した崇拝行為です。
  • ハッジ(マッカ巡礼):身体と言葉いずれにも深く関連した、五番目の基幹です。また財産の出費も伴います。

イスラームはムスリムに対し、ただ理由もなくこのような崇拝行為の実践を課したわけではありません。これらの行為によって、彼らの魂が浄化されるためなのです。礼拝(サラー)について、至高のアッラーはこう仰いました:

-実にサラー(礼拝)は醜行と悪事を妨げる。,(クルアーン29:45)

また義務の浄財(ザカー)について、至高のアッラーはこう仰っています:

-彼らの財産から施しのためのものを取り、それでもって彼らを(罪から)清め、浄化してやるのだ。,(クルアーン9:103)

また斎戒(サウム)に関しては、至高のアッラーはこう仰います:

-信仰する者たちよ、あなた方以前の者たちにも定められたように、あなた方にも斎戒(サウム)が課せられた。(それによって)あなた方は敬神の念を獲得するであろう。,(クルアーン2:183)

斎戒(サウム)は自制心や自己規律の精神を教えると共に、人が欲望の中に溺れてしまわないように訓練する効果があります。預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言っています:

「アッラーは、下卑た言葉や行いを慎まない者がその飲食を放棄することをお受け入れにはならない。」(アル=ブハーリーの伝承)

またハッジ(巡礼)について、至高のアッラーはこう仰っています:

-ハッジ(の季節)は周知の数ヶ月[1]である。それでその間にハッジをしようとする者は、淫らな言動や罪深い行いや言い争いをしてはならない。,(クルアーン2:197)

イスラームにおいて崇拝行為はムスリムの統一を維持すると共に、優れた作法の改善においても大きな役割を果たしています。以下にイスラームの基幹をご説明しましょう:

 

第一番目の基幹:二つの信仰証言(シャハーダ) 

これは「アシュハドゥ・アッラー・イラーハ・イッラッラー、ワ・アシュハドゥ・アンナ・ムハンマダン・アブドゥフ・ワ・ラスールフ(私はアッラーの他に真に崇拝すべきものはなく、ムハンマドはそのしもべであり使徒であることを証言する)」という証言のことです。これはイスラームにおける言葉に関連した基幹ですが、この証言にはそれに則った信仰と行為も要求されます。またこの証言こそが、イスラーム改宗の鍵となります。

一番目の証言「アッラーの他に真に崇拝すべきものはなし」の意味:

これはいわゆるタウヒード[2]の言葉です。そしてこの概念のもとにアッラーは被造物を存在せしめ、天国と地獄を創造したのです。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてわれ(アッラーのこと)はジン(精霊的存在)と人間を、われを崇拝させるべくして創造したのだ。,(クルアーン51:56)

そしてこの概念こそは、アダムから最後の預言者ムハンマドに至るまでの全ての預言者と使徒たち(彼らにアッラーからの祝福と平安あれ)が人々をそこへといざなってきた信仰なのです。至高のアッラーはこう仰いました:

 -あなた以前にわれら(アッラーのこと)が遣わした使徒の内で、「われ(アッラーのこと)の他に神はない。だからわれを崇拝するのだ。」という啓示を与えなかった者はいなかったのである。,(クルアーン21:25) 

この証言の最初の部分「アシュハドゥ・アッラー・イラーハ・イッラッラー(私はアッラーの他に真に崇拝すべきものはないと証言する)」は、以下のような意味を含みます:

  • アッラーが全ての存在の創造主であること。至高のアッラーはこう仰いました:

-かれこそがアッラー、あなた方の主である。かれ以外に崇拝すべきものはない。かれは全ての創造主であるのだ。ゆえにかれを崇拝せよ。かれは全てにおいて(そのしもべから)委任されるべきお方なのである。,(クルアーン6:102)

  • アッラーが存在する全ての存在の真の所有者であり、かつその諸事を司る存在であること[3]。至高のアッラーはこう仰っています:

-かれにこそ創造と全ての権限は属する。万象の主アッラーの崇高さよ。,(クルアーン7:54)

  • アッラーのみが崇拝されるに値するということ[4]。至高のアッラーはこう仰っています:

-アッラーにこそ、天にあるものも地にあるものも属しているではないか?アッラーを差し置いて(彼らがその)併置者(と見なすもの)を拝している者たちは、(実際のところ)それらに従っているわけではない。彼らは実に(根拠なく)憶測しているに過ぎない。彼らは嘘をついているのである。,(クルアーン10:66)

  • その美名と完璧な属性はアッラーにのみ属し、いかなる欠陥からも免れているということ[5]。至高のアッラーはこう仰っています:

-そしてアッラーにこそ美名が属するのであるから、それをもってかれに祈願するのだ。かれの美名をないがしろにするような輩は放っておくがいい。いずれ彼らは自分たちが行っていたところのもので報いを受けるだろうから。,(クルアーン7:180)

この証言の条件:

この証言はただ単に発声するだけでは、アッラーに受け入れられるものとなるに十分ではありません。それは天国の扉への鍵ではあっても、それを有効に作動させるためにある一定の溝を形作らなければならないのです。この証言がアッラーに受け入れられるものとなるための条件は、以下に示す通りです:

1.知識:これは、アッラーを差し置いて崇拝されているあらゆる存在が、虚妄であることを知ることです。預言者や使徒、天使などであろうと、アッラー以外に真に崇められるべき存在はありません。礼拝(サラー)や祈願、犠牲や誓願など、あらゆる種類の崇拝行為はアッラーにのみ向けられなければならないのです。

ゆえに、何らかの崇拝行為をアッラー以外の何かに向けるという行為は、一種の不信仰なのです。これは例え証言の言葉を口にしていたとしても、関係ありません。

2.確信:つまり二つの証言の意味を、心から確信することです。確信の反対は疑惑ですが、この信仰において疑惑やためらいなどがあってはなりません。至高のアッラーはこう仰いました:

 -信仰者というものはアッラーとその使徒を信仰し、その後(その信仰に)疑念を抱くことなく、財と生命をかけてアッラーの道に奮闘する者たちのことである。彼らこそは真に信仰する者たちである。,(クルアーン49:15)

3.受容:証言の内容は完全に受け入れ、それを拒む気持ちがあったりするべきではありません[6]。 至高のアッラーはこう仰いました:

-彼らは実に「アッラーの他に真に崇拝すべき何ものもなし」と言われれば、奢り高ぶったものだったのだ。 ,(クルアーン37:35)

4.服従:証言の内容が要求することに従い、それに沿って行動することです[7]。そしてアッラーが命じることを行い、かれが禁じることを回避しなければなりません。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてアッラーのみに真摯に向かって服従し、イフサーン[8]の徒である者は堅固な取っ手を握り締めた者。そして全ての物事の結末は、アッラーへと還り行く。,(クルアーン31:22)

5.真摯さ:証言を口にするにあたって、真摯でなければなりません [9]。至高のアッラーはこう仰っています:

-彼ら(アッラーの使徒の命に背いて出征しなかった者たち)はその舌で、心にもないことを語っている。,(クルアーン48:11)

6.崇拝の誠実さ:つまり全ての崇拝行為を、アッラーのみに誠実に捧げることです[10]。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして彼らは純正な宗教の徒として、彼らの宗教をアッラーのみに真摯に捧げて崇拝し、サラー(礼拝)を行い、ザカー(浄財)を施すことしか命じられてはいなかったのだ。,(クルアーン98:5)

7.敬愛:この証言をする者は、それとそれが要求するもの全てを愛さなければなりません。つまりアッラーとその使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)、そしてその正しいしもべたちを愛し、彼らに敵対する者には敵対する必要があります。また例えそれが自分の私欲と一致しないことであっても、アッラーとその使徒への愛情を何よりも優先することが求められます。至高のアッラーはこう仰いました:

-言え、「あなた方の父親や子息、兄弟姉妹や配偶者、近親やあなた方の稼いだ財産、またあなた方が不景気になることを恐れている商売や、あなた方の意に適った住まいがアッラーとその使徒、そしてその道における奮闘よりもあなた方にとって愛すべきものであるのならば、アッラーが事を決行されるまで待つがよい。アッラーは放縦な民をお導きにはなられないのだ。」,(クルアーン9:24)

またこの証言は、アッラーのみが法を定める権威を有するということを認めることにも繋がります。崇拝行為に関することであろうと、個人あるいは社会間における人間関係に関することであろうと、そこに違いはありません。

何かを合法としたり非合法としたりする権威は、アッラーにのみ属します。またその使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は、いかなるアッラーの命令も隠蔽したりすることがありません。至高のアッラーはこう仰いました:

-使徒が命じた物事を行い、彼の禁じた物事を避けよ。,(クルアーン59:7)

二番目の証言「ムハンマドはアッラーの使徒である」の意味

ムハンマドがアッラーの使徒であることを証言することで、以下に示すような事柄も義務付けられてきます:

1.彼の使徒性を信じること:そして彼が最良かつ最後の使徒であり、彼以後には預言者も使徒も出現しないことを信じること。至高のアッラーはこう仰いました:

-ムハンマドは(彼が授かった本当の彼の子でもない)あなた方の内の誰の父親でもない。しかしアッラーの使徒であり、最後の預言者なのだ。,(クルアーン33:40)

2.彼が無謬であること:但しこれは、彼がアッラーから伝達して教示するという行為においてのみのことです。至高のアッラーはこう仰いました:

-そして彼は私欲から(物事を)話しているわけでもない。それは下された啓示以外の何ものでもない。,(クルアーン53:3-4)

一方現世的諸事に関しては、彼は単なる一人の人間に過ぎません。彼は自分の意見を持っていました。アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)こう言っています:

「私は一人の人間に過ぎないが、あなた方は私に争いの調停を求める。そしてあなた方の内のある者は、他の者よりも論証において雄弁であり、それゆえに私は私が耳にした通りに(その者の都合のよい形で)裁いてしまうかもしれない。それで私がそのような者に対し、その同胞の何らかの権利を(不当に)得るような判決でもって裁いてしまったとしても、それを手にするのではない。というのも(そのような場合)私は、その者に地獄の炎の一片を差し出しているに他ならないからである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)

3.彼が全被造物に遣わされた使徒であることを信じること:そして最後の時まで、彼以外の使徒は現れません。至高のアッラーはこう仰いました:

-そしてわれら(アッラーのこと)はあなたを、福音と警告を告げる者として人類全てに向けて遣わした。しかし多くの人々は知らないのだ。,(クルアーン34:28)

4.彼の命に従うこと:また彼の伝えることを信じ、彼が禁じ警告することを回避すること。至高のアッラーはこう仰っています:

-使徒が命じた物事を行い、彼の禁じた物事を避けよ。,(クルアーン59:7)

5.預言者のスンナ[11]に従い、それを遵守すること:そしてそこにおいて新奇な物事を創出しないことです。至高のアッラーはこう仰いました:

-言え、「あなた方がアッラーのことを愛しているのなら、私(ムハンマド)に従うのだ。そうすればアッラーはあなた方を愛して下さり、あなた方の罪をお赦し下さるであろう。」アッラーはお赦し深く、慈悲深いお方である。,(クルアーン3:31)



[1]「数ヶ月」とは一般に、イスラーム暦の10月、11月、そして12月の最初の10日間の計2ヶ月10日間のことです。

 

[2] 「タウヒード」とは、その主性、崇拝される対象としての権威、美名と属性におけるアッラーの唯一性を示す概念です。

[3] 一番目と二番目はいわゆる「主性におけるタウヒード」と呼ばれているものです。これはアッラー以外にはいかなる創造主も供給者も、維持者も所有者もいないという概念です。

[4] 一方これは「崇拝される対象としてのタウヒード」と呼ばれるものです。

[5] これは「美名と属性のタウヒード」と呼ばれているもので、アッラーの美名と属性はかれにのみ帰されるべきものであり、そこにおいていかなるものもかれに匹敵したりはしないことを示しています。

[6] ムスリムとなるには、証言の意味を理解して確信をもって信仰するだけでは十分ではありません。厳密にはそれを発声して受容し、ムスリムとなることを受け入れる必要があります。

[7] ムスリムとなるには、証言の意味を理解して確信をもって信仰し、それを発声して受容し、ムスリムとなることを受け入れるだけでは十分ではありません。更にそれに則って行動する必要があるのです。

[8] 「イフサーン」とは、語学的には何かをよい形で行う者を意味しますが、ここでは預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の手法に則ってアッラーゆえに真摯に善行を積む者の事を指しています。アッラーはここでかれへの服従と善行を並置させていますが、それらを実践する者は証言という「堅固な取っ手を握り締めた者」となるでしょう。

[9] 上記の全ての条件を満たしていたとしても、心の内に不信仰を潜めていたとしたら、ちょうど偽善者のような状態になってしまいます。

[10] 上記の全ての条件を満たしていたとしても、死人に向かって何らかの願いを叶えてもらおうと祈ったりするなど、崇拝行為をアッラー以外の何かに向けていたら純粋なアッラーの崇拝を行っていることにはなりません。

 

[11] 「スンナ」とは預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の示した手法や道のことです。

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