最後に

最後に、イスラームに改宗した二人の者の言葉でもって、この本を締めくくりたいと思います。F.フィルウィース[1]はこう断言しています:


「西欧はいかなる信念も信仰も幸福をもたらしてはくれないような、膨大な精神的空白によって病んでいる。いわゆる人々の経済的繁栄と物質的需要の満足にも関わらず、西欧人は人生の無意味さを感じているのだ。彼は自問する:“私は何故生きているのだろう?私はどこへ向かっているのだ?どうして?”しかし誰も彼に満足の行く答えを与えてはくれない。そして不幸にもその治療薬は、彼が疑念と誤解以外にはいかなる知識も持ち合わせてはいない“正しい宗教”の中に潜んでいる、などということは思いもしないのである。しかしながら僅かばかりとはいえ、西欧人の集団がイスラームを受容し始めたことで、光線が差し込み、夜は明け始めてきた。今や西欧人は、イスラームの手法に則り、それに沿って生活する男女を目の当たりにし始めたのである。この真実の宗教は毎日、何人かの人々に受け入れられている。そしてこれはまだ単なる序章に過ぎないのだ…。」


またデボラ・ポッター[2]はこう述べています:

「神の法であるイスラームは、私たちの身の回りの自然に明白に表れています。山も海も、惑星も恒星も、アッラーの命に基づいた軌道に沿って動きます。それらは全て創造主アッラーの命に服従した状態にあるのであり、それはあたかも‐アッラーにこそ最善の喩えは属します‐御伽噺の中のキャラクターのようです。それらは著者の決定なしには喋りもしなければ、動きもしません。同様にこの宇宙における全ての原子もまた、例えそれが生命体ではなくても、服従の状態にあります。しかし人間だけはこの法則から免れています。アッラーは人間に、選択の自由を与えられたのです。人間はアッラーの命に服するか、あるいは自らの法と自らが好む宗教の前にひざまずくかの選択権を与えられているのです。不幸なことに人間は大方の場合において、後者の方を選んでいます。ヨーロッパとアメリカのイスラーム改宗者の多さは、彼らが心の平安と精神的な安らぎに飢えているからです。イスラームを破壊し、その疑わしい欠陥の数々を示そうとしたキリスト教徒のオリエンタリストや宣教師自身、イスラームに改宗しています。これこそは真理の証拠が決定的であることを表しているでしょう。これを否定することは不可能なのです。」

全ての賞賛は万有の主アッラーにこそあり。

アッラーがその使徒を称揚され、また彼をいかなる中傷からもお守り下さいますよう。



[1] 第一次・第二次世界大戦に参加したイギリス海軍将校。キリスト教の環境と文化を背景に育ち、それに深い影響を受けましたが、クルアーン及び諸々のイスラーム文学に出会ったことで1924年にイスラームに改宗しました。

[2] 1954年アメリカのミシガン州生まれ。ミシガン大学でジャーナリズムの学士を取得。イマードッディーン・ハリール著「イスラームについて彼らは何を語っているか?」からの抜粋です。

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